御坊市(読み)ゴボウシ

デジタル大辞泉 「御坊市」の意味・読み・例文・類語

ごぼう‐し〔ゴバウ‐〕【御坊市】

御坊

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日本歴史地名大系 「御坊市」の解説

御坊市
ごぼうし

面積:四三・六二平方キロ

和歌山県西部中央に位置する臨海都市。県下第二の広さをもつ日高平野の大部分を占め、その周縁部の段丘・丘陵と北部の山地からなる。東は日高郡川辺かわべ町・印南いなみ町、南は紀伊水道から太平洋に臨み、西は日高郡美浜みはま町・日高町。北に白馬しらま山脈があり、市中央部を西南に流れる日高川は、紀和国境の護摩壇ごまだん山に発し、下流に約二四平方キロの沖積平野を形成。近世初期まで乱流して流路は一定せず、所々に自然堤防が残る。

御坊の地名は近世初頭に当地に再建された浄土真宗本願寺御坊(日高別院)に由来。なお現日高郡美浜町・日高町・由良ゆら町一帯では、御坊村・その浦をかつて日高とよんだ。市域は日高郡(飯高郡)に含まれていた。

〔原始〕

市内の遺跡は北部山麓と南部段丘に多く、日高川が乱流した平地中心部は少ない。先土器時代の遺物名田なだ野島のしま馬地うまち丘陵から硬質頁岩製ナイフ形石器、同壁川崎かべござきからサヌカイト製の多様な石器が発見されている。縄文時代の遺跡として天田あまだ付近の日高川河原から草創期の石槍が出土、馬地遺跡からは中期の土器片および石鏃、上野口かみのぐちからは後期土器片が出土した。近年発掘された南塩屋みなみしおや尾の崎おのざき遺跡から早期前半・後期後半の土器片・石鏃・石錘が出土し、また弥生時代の遺跡も確認され、付近一帯は縄文早期から長期にわたって集落が存在したことを示している。

弥生時代の遺跡は市北部のかめ(丸山)山麓からいつき川に沿った地に多くみられ、旧日高川北岸の自然堤防上の富安とみやすI遺跡は相当大きな集落跡と推定される。海岸に近い遺跡からは製塩土器も出土している。銅鐸は小松原こまつばらから一個、丸山まるやま朝日谷あさひだにから三個出土。古墳の分布も北部山麓と南部段丘・丘陵地帯に多く、尾ノ崎遺跡で四世紀後半から五世紀へかけての方形周溝墓一八基を確認、吉田よしだ阪東ばんど丘に二基の中期古墳がある。六世紀に入ると富安の鳳生寺ほうしようじ山・亀山、吉田の八幡やはた山、天田・野島など、市内各地に約一〇〇基の古墳が築造され、当時すでに有力な支配層が存在していたことを示している。

〔古代〕

当市域は古代の日高郡西南部に位置する。中皇命が紀温泉(現西牟婁郡白浜町白浜温泉)に行く途中に詠んだ阿胡根あごね(「万葉集」巻一)は、海岸に面した野島に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御坊市」の意味・わかりやすい解説

御坊〔市〕
ごぼう

和歌山県西部,太平洋にのぞむ市。 1954年御坊町と湯川,藤田,野口名田塩屋の5村が合体して市制。中心市街地の御坊は日高川河口部に位置し,古くから熊野街道の渡津宿場町として,天文9 (1540) 年本願寺別院が建てられてからはその門前町として発達。別院は日高御坊と呼ばれ,市名の由来となった。江戸時代には日高港が廻船の寄港地となったため廻船問屋も立地,日高川の水運沿岸の廻船を結ぶ港としても栄えた。日高川上流域で産する木材の集散地で,製材・製紙業が盛んであったが,紀勢線の開通やトラック輸送の発達により輸送路が変り,現在は化学,紡織などの工場が進出。農村部では米作,花卉栽培などのほかサヤエンドウを特産。塩屋浜一帯の海岸は煙樹海岸県立自然公園に属する。御坊駅で JR紀勢本線と紀州鉄道が分岐,国道 42号線,425号線が通じる。面積 43.91km2。人口 2万3481(2020)。

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