早崎浦(読み)はやざきうら

日本歴史地名大系 「早崎浦」の解説

早崎浦
はやざきうら

[現在地名]びわ町早崎

竹生ちくぶ島への渡場として置かれた湊。竹生島が西国三十三所観音霊場の第三〇番札所であったことから、北国街道から島に渡る巡礼者で賑った。慶長一八年(一六一三)の徳川家康朱印状案(竹生島文書)に「早崎浦」とみえるが、参詣の点からすれば湊の機能は古くにさかのぼると考えられる。豊臣秀吉近江の支配にあたり湖の舟運・漁労などの諸年貢を掌中に収め船奉行または代官を置いて管理させたという。最初の船奉行に就いたのは早崎家久、通称は平三(平蔵)で、のち船代官の芦浦観音寺賢珍とともに湖上のことを執行し、天正一一年(一五八三)五月には長命寺ちようめいじ(現近江八幡市)に対し船役免除を伝えている(東浅井郡志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む