早川巍一郎(読み)ハヤカワ ギイチロウ

20世紀日本人名事典 「早川巍一郎」の解説

早川 巍一郎
ハヤカワ ギイチロウ

大正・昭和期の彫刻家 多摩美術大学名誉教授。



生年
明治38(1905)年7月14日

没年
昭和53(1978)年6月12日

出生地
鳥取県倉吉市

旧姓(旧名)
竹本

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科〔昭和4年〕卒

主な受賞名〔年〕
二科展樗牛賞〔昭和3年〕「女の首」「母の像」

経歴
藤川勇造師事。大正14年二科展に初入選、以後同展に出品を続け、昭和3年樗牛賞を受賞。7年二科会友となるが、10年同会を退いて第三部会展に出品。16年より新制作派協会会員となり、戦後も同展に出品。28〜51年多摩美術大学教授をつとめ、53年名誉教授。この間、41〜47年文部省大学設置審議会専門委員。代表作に「だんらん」「鳩と少女」「豊穰」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早川巍一郎」の解説

早川巍一郎 はやかわ-ぎいちろう

1905-1978 大正-昭和時代の彫刻家。
明治38年7月14日生まれ。藤川勇造に師事。大正14年二科展に初入選,昭和3年樗牛(ちょぎゅう)賞。16年より新制作派協会展に会員として出品。28年多摩美大教授。昭和53年6月12日死去。72歳。鳥取県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。旧姓は竹本。作品に「女の首」「鳩と少女」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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