大正・昭和期の彫刻家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
彫刻家。香川県高松市で漆工業を営む家に生まれる。1898年高松工芸学校漆工科に入学,翌年木彫科に転じた。1908年東京美術学校卒業後,農商務省海外練習生としてフランスに渡り,アカデミー・ジュリアンのジャン・ポール・ローランスの教室に学んだ。12年ころロダンに認められて晩年の助手をつとめ,16年病気のため帰国した。19年二科会に彫刻部を創設するに当たり会員として迎えられ,29年二科会の番衆技塾を開設し,多くのすぐれた後進を育成した。35年帝国美術院会員となり二科会を去ったが,同年に没した。ロダンの激情的な作風とは対照的に,堅実で静謐な作風を示した。滞仏中の代表作に《ブロンド》《シュザンヌ》,帰国後に《裸》などがある。
執筆者:三木 多聞
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
彫刻家。香川県生まれ。高松工芸学校を経て、1908年(明治41)東京美術学校彫刻科本科卒業、農商務省海外留学生として渡仏し、アカデミー・ジュリアンでジャン・ポール・ローランスにデッサンを学んだ。のちロダンに認められて晩年の助手をつとめた。病のため16年(大正5)帰国し、19年の二科会彫刻部創設に際し会員として迎えられ、29年(昭和4)番衆技塾を開設し、多くの後進を指導した。35年帝国美術院会員に任命され二科会を辞したが、まもなく没した。ロダンの作風とは対照的に堅実で静謐(せいひつ)な表現による温和な魅力ある作風を示し、代表作に『シュザンヌ』『ブロンド』『裸』などがある。妻の藤川栄子(1901―83)も画家として知られる。
[三木多聞]
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