20世紀日本人名事典 「早川種三」の解説
早川 種三
ハヤカワ タネゾウ
- 生年
- 明治30(1897)年6月6日
- 没年
- 平成3(1991)年11月10日
- 出生地
- 宮城県仙台市東小泉
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾大学経済学部〔大正14年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲二等瑞宝章〔昭和46年〕
- 経歴
- 山岳部とお茶屋遊びに精を出した大学時代は、シルクロードの探検家に憧れた。卒業後ペンキ屋から出発、昭和5年世界恐慌の波に遭って、親会社「東京建鉄」の再建のため役員として乗り込み、成功する。19年日本建鉄工業(旧・東京建鉄)代表となる。戦後公職追放となるが、28年戦後の大型倒産第1号である日本建鉄の管財人に。以後41年日本特殊鋼管財人兼社長、48年佐藤造機管財人兼社長、50年興人管財人となるなど多くの会社再建を手がけ、“再建の神様”と呼ばれた。36年仙台放送を設立し、社長、45年会長に。著書に自伝「会社再建の記」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報