明岡河岸(読み)みようおかがし

日本歴史地名大系 「明岡河岸」の解説

明岡河岸
みようおかがし

[現在地名]矢吹町明新中

寛文年間(一六六一―七三)頃阿武隈川舟運が開かれたが、当時は下流のみであった。嘉永二年(一八四九)ようやく上流新規通船の願を提出し、川原田かわらだ(現中島村)から鬼生田おにゆうだ(現郡山市)まで一二里の舟運を計画した。安政二年(一八五五)願は許可されたが、河川の改修に莫大な費用が必要で、さらに乙字おつじヶ滝(現須賀川市)など難工事の連続だった。同五年から営業が開始された。この願人と請負人が明岡村庄屋円谷茂平、大和久おおわぐ村庄屋芳賀市右衛門、川原田村佐藤良平、三春みはる(現三春町)藤田逸作であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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