日本歴史地名大系 「明恵上人糸野遺跡」の解説 明恵上人糸野遺跡みようえしようにんいとのいせき 和歌山県:有田郡金屋町糸野村明恵上人糸野遺跡[現在地名]金屋町糸野糸野集落北方鉢伏(はちぶせ)山の麓、丹生(にう)池のほとりの奥(おく)の谷に面した小字上人谷(しようにんだに)にある。現在は蜜柑畑となっており、卒塔婆が建つ。国指定史跡の明恵紀州遺跡率都婆の一。明恵が二七歳より両三年修行した所で、明恵紀州八所遺跡の一。明恵の死後、嘉禎二年(一二三六)高弟喜海が木製卒塔婆を造立したが(「高弁遺跡率堵婆銘注文」施無畏寺文書)、それが朽損したため康永三年(一三四四)弁迂が石造で再建した卒塔姿(銘文)が現存する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by