日本歴史地名大系 「明時館跡」の解説 明時館跡めいじかんあと 鹿児島県:鹿児島市鹿児島城下下方限東千石馬場町明時館跡[現在地名]鹿児島市東千石町天文(てんもん)館とも称し、現在天文館跡の碑が建つ。鹿児島藩の暦作成のための天体観測施設。天保切絵図では花岡屋敷の真向い、中福良(なかふくら)通に面して明時館とあり、六三二坪。天保城下絵図では天文館と朱書され、敷地内にはドーム状の屋根をもつ建物、建物の脇に旗が掲げられた竿と数棟の家が描かれる。安永八年(一七七九)島津重豪が家老小松清香・側用人山田明遠に命じて「治暦之館」の設置を指示したのに始まる。両人は使番兼記録奉行児玉実門と水間喜八と相談し、八月に着工し一〇月に竣工した(「明時館記」旧記雑録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by