朝日日本歴史人物事典 「明済」の解説
明済
生年:生年不詳
南北期・室町時代初期の東寺の僧。名字は松本,豊前と称した。永徳1/弘和1(1381)年に東寺領播磨国矢野荘(兵庫県相生市)例名 の学衆方,供僧方の所務代官となり,明徳4(1393)年から応永初年にかけて生じた百姓の強訴の処理に当たる。のち帰洛し,応永13(1406)年には東寺の事務を統括する惣公文に任じられる。また夏衆に加わり,法眼にまで昇進。死後に「其遺跡抜群富裕」といわれたように,利殖の才に優れ,東寺に多額の銭を融通する一方で,富裕税である有徳役を守護から課されたりもした。
(伊藤俊一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報