トゥグルク朝(読み)トゥグルクちょう(英語表記)Tughluq

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トゥグルク朝」の意味・わかりやすい解説

トゥグルク朝
トゥグルクちょう
Tughluq

インド,デリー・サルタナット 3代目の王朝 (1320~1413) 。ハルジー朝武将であったギヤース・ウッディーン・トゥグルクが創始した。彼は現在のニューデリー市南郊に王都を建設し,トゥグルカーバードと名づけた。2代の王ムハンマド・ビン・トゥグルク (在位 1325~51) の時代に最盛期に達した。有名な旅行記を書いたイブン・バットゥータムハンマド王宮に長く滞在し,その旅行記にムハンマドの治世について数多く書き残している。ムハンマドは 1327年デカン北部の古都デオギリに遷都し,ダウラターバードと改称したが,混乱が続き,7年後にまたデリーに遷都した。しかしデリーには再び昔日の繁栄は戻らなかったという。第3代王フィーローズ・シャーの時代には,先王の治世末期の混乱を治めて,公共事業,土木事業を起したが,特に彼の築いた王城フィーローザーバードや水道は有名である。また彼の時代にはアフィーフとバルニーによって同名の2種の歴史書『ターリーヘ・フィーローズシャーヒー (フィーローズ・シャーの歴史) 』 Ta'rikh-i Firūz Shāhiが書かれたが,これらはトゥグルク朝に関する基本史料となっている。彼の死後トゥグルク朝は急速に衰え,1413年に滅亡した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥグルク朝」の意味・わかりやすい解説

トゥグルク朝
とぅぐるくちょう
Tughluq

インドのデリー・サルタナット五王朝の三番目のトルコ系王朝(1320~1413)。ハルジー朝の老将ギヤースッディーンによって創設され、壮大な都市トゥグルカーバードが造営されたが、その子ムハンマド・シャーMuhammad Shāh(在位1325~51)の治世にこの王朝は最盛期を実現した。彼は新たにデカン高原一角にドーラターバード(富の都の意)と称する第二の首都を造営し、彼の支配権力を帝国体制にまで高めようとした。このスルタンの治世の状況の一端はイブン・バットゥータの記録からもうかがえる。ムハンマド・シャーの政策は強権に基づいたために無理が多く、とくに強引な経済政策と相まって地方権力の反乱を招いた。次のフィーローズ・シャー(在位1351~88)の治世には一時小康を保ったが、その死後には王朝権力は弱体化し、とくに14世紀末葉のティームールの北インド侵略後、急速に衰退していった。

[荒 松雄]

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