日本歴史地名大系 「明知庄」の解説 明知庄あけちのしよう 岐阜県:可児市明知庄現可児市柿田(かきた)・渕之上(ふちのうえ)・瀬田(せた)・平貝戸(ひらがいと)・石森(いしもり)・石井(いしい)と現可児郡御嵩(みたけ)町顔戸(ごうど)・古屋敷(ふるやしき)の、近世の明知八郷一帯に比定される。承暦二年(一〇七八)一二月二二日の大宰大弐宅解并左京職等証判(石清水文書)によれば可児郡曰理(わたり)・郡家(ぐんけ)両郷にあって、四至は東は「大石東峯」、南は「巌山并峯」、西は「可児河尻」、北は「可児河」を限っていた。現在も可児市久々利(くくり)と御嵩町中(なか)地区と境を接する古屋敷の南の山の尾根の上に「こめかみ石」とよばれる大石があり、これが東の境の「大石東峯」にあたるか。立庄の時期は不明だが、小野宮家祖藤原実頼のとき同氏の所領となり、不輸不入の特権を得て伝領された。藤原経平(大宰大弐)の代になって火災のため一切の公験を失ったので、承暦二年に至り左京職に申請して、公験焼失の証明を得た。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by