明石博高 あかし-ひろあきら
1839-1910 幕末-明治時代の医師,殖産家。
天保(てんぽう)10年10月4日生まれ。慶応2年生地京都に煉真舎を組織し,理化学,薬学を研究。明治元年の御所内病院開設のほか,養蚕場,牧畜場,学校,授産所などの創設につくした。明治43年6月20日死去。72歳。名は博人。号は静瀾。著作に「日本薬泉考」「化学撮要」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の明石博高の言及
【ハラタマ】より
…著述としてほかに《理化新説》(三崎嘯輔訳,1868),《金銀精方》(大坂開成学校訳,1872)などがある。大坂舎密局伝習生としてハラタマに学んだ明石博高(ひろあきら)(1839‐1910)は,後に京都舎密局を設立した。【道家 達将】。…
※「明石博高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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