朝日日本歴史人物事典 「明石博高」の解説
明石博高
生年:天保10.10.4(1839.11.9)
幕末明治期の医者,化学者,衛生学者。京都出身。慶応1(1865)年,京都医学研究会を創設,医学と化学の勉強に励む。明治2(1869)年大阪病院を創設,ハラタマ,ボードインらを招き,自身は薬局主管となるが,また大阪舎密局でハラタマのもとで助手も務める。翌年京都舎密局を創設するも14年廃止のやむなきに至り,私財を投じて,救おうとする。7年京都で日本最初の医師免許試験の実施を提言。また10年にはコレラの流行に際して,2年後の再流行を予言,検疫制度の採用を提案するなど,公衆衛生をはじめ多くの殖産事業に挺身する。私財を消費し尽くして開業医として失意のうちに没した。
(村上陽一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報