星野 金吾
ホシノ キンゴ
明治・大正期の陸軍中将
- 生年
- 文久3年11月(1863年)
- 没年
- 昭和8(1933)年5月29日
- 出生地
- 越後国村上(新潟県)
- 旧姓(旧名)
- 松樹
- 学歴〔年〕
- 陸士〔明治15年〕卒,陸大〔明治23年〕卒
- 経歴
- 越後村上藩士・松樹南寿の四男に生まれ、のち伊勢長島藩士の伯父・星野包承の養嗣子となる。明治15年陸軍砲兵少尉となり、27年日清戦争には第3師団参謀として出征。近衛砲兵連隊長、第3師団参謀長、第6師団参謀長、陸軍大学校教官などを歴任。37年日露戦争には第1師団参謀長として従軍。40年関東都督府参謀長を経て、大正2年野戦砲兵監となり、砲兵科の改善・刷新を進めた。同年中将。5年第17師団長を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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星野金吾 ほしの-きんご
1863-1933 明治-大正時代の軍人。
文久3年11月生まれ。近衛砲兵連隊長,第一師団参謀長などをへて大正2年野戦砲兵監となる。砲兵科の改善,刷新をすすめた。のち第十七師団長。陸軍中将。昭和8年5月29日死去。71歳。越後(えちご)(新潟県)出身。陸軍大学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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