時鐘堂跡(読み)じしようどうあと

日本歴史地名大系 「時鐘堂跡」の解説

時鐘堂跡
じしようどうあと

[現在地名]弘前市森町

もり町の北側、塩分しわく町との境にあった。

寛文一三年(一六七三)弘前中惣屋敷絵図(市立弘前図書館蔵)に、町内南側の空地に「時鐘撞堂」とあり、高田儀兵衛の屋敷裏にある。「津軽俗説選」によれば、堂内の鐘は辰時鐘とよばれ、渡辺近江の鋳造で、銘を彫ることはしなかったという。享和三年(一八〇三)御家中町割(八木橋文庫蔵)によれば、森町がほん町の町屋に接続したため、堂は町内北側に位置することになり、蝋燭蔵を左隣として道路に面するようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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