晞干浦(読み)ひるほしうら

日本歴史地名大系 「晞干浦」の解説

晞干浦
ひるほしうら

[現在地名]佐伯市二栄ふたばえ 晞干ひりよし

古江ふるえ浦の北、現佐伯市の北端に位置。中世には佐伯庄のうち。天正一九年(一五九一)四月一一日に「佐伯ひるほうし」の長はま弥大郎が伊勢神宮に参詣している(「参宮帳写」後藤作四郎文書)。慶長期(一五九六―一六一五)には戸穴ひあな村に属した。慶長六年六月の戸穴村検地指出帳(佐伯藩政史料)に晞干浦とみえ、文禄二年(一五九三)の検地高は田高五石余・畑高一〇石余・屋敷高一石三斗余、うち永荒一〇石余。慶長六年五月の戸穴村検地指出帳(同史料)によれば、同二年の検地高一八石余。同一四年には戸穴村のうち宮野浦組として浦名がみえ、水夫屋敷六軒(うち牢人三)で、分米二石四斗余(うち本役高一石余、佐伯中の役高一石三斗余)であった(「戸穴宮野内組水夫屋敷高帳」同史料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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