佐伯庄(読み)さいきのしよう

日本歴史地名大系 「佐伯庄」の解説

佐伯庄
さいきのしよう

古代の海部郡穂門ほと(和名抄)が庄園化したものと考えられ、庄域は豊後水道に臨む海岸部とその後背山地、現佐伯市と現宇目うめ町を除く南海部郡全域および現津久見市保戸ほと島を含むと考えられる。文治年中(一一八五―九〇)宇佐宮太大工小山田貞遠が作成利用した宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)に「佐伯庄」とみえ、宇佐宮仮殿造営の際、当庄に置路甃二丈・釘貫一〇間・中間甃一丈などが割当てられている。豊後国弘安図田帳によれば、本庄一二〇町と堅田かたた村六〇町とからなり、領家は毛利判官代孫四郎、地頭は大友兵庫入道、本庄の地頭は御家人佐伯弥四郎政直(法名道清)。内閣文庫本豊後国弘安田代注進状では、佐伯庄領家は毛利判官代波弥四郎、地頭は御家人とのみで名前は記載されていない。また本庄の地頭政直の法名を道精とする。

興国元年(一三四〇)八月一七日、南朝方の五条頼元は使者を佐伯に案内するよう阿蘇惟澄に伝えている(「五条頼元書状写」阿蘇家文書)。一方、北朝方では暦応四年(一三四一)当庄領家職を戸次頼時に預けている(四月二二日「宗栄書状写」薩藩旧記雑録所収伊知地文書)。貞和二年(一三四六)五月一七日、足利尊氏は佐伯山城守(惟賢か)跡の当庄地頭職を角違一揆に宛行っている(「足利尊氏袖判下文案」大友家文書録)。正平二年(一三四七)一一月九日、懐良親王は当庄地頭職を南朝方の武士に分配することとしている(「征西将軍宮令旨案」阿蘇家文書)。応安四年(一三七一)一一月一四日、高崎たかさき(現大分市)辺りにいた九州探題今川了俊の子義範は菊池武光らの攻撃を受け、土持時栄に佐伯および蒲江かまえ(現蒲江町)辺りへ出陣するよう命じている(「今川義範軍勢催促状案」日向土持文書)。永和元年(一三七五)九月二日、足利義満が角違一揆に当庄(佐伯山城守跡)地頭職を宛行っている(「足利義満袖判下文」大友文書)

大友政親と嫡子親豊(義右)は一族大聖院宗心の画策によって対立するようになり、親豊は佐伯に退いている(六月二三日「大友政親書状」三代文書ほか)。政親・親豊父子が明応五年(一四九六)に没した後、宗心と田原・佐伯両氏は永正三年(一五〇六)浦部うらべで反大友の兵を挙げている(一〇月一三日「城政冬等三名連署書状」相良家文書)


佐伯庄
さえきのしよう

佐伯郷(和名抄)に成立した荘園と考えられる。江戸時代佐伯さいき村を中心にした地域と推定されるが荘域ははっきりしない。

佐伯庄の成立については、寿永二年(一一八三)二月日付建礼門院庁下文案(田中忠三郎氏所蔵文書)

<資料は省略されています>

とあり、これによれば寿永元年秦頼康が佐伯郷内の時武名を高倉院法華堂領として寄進したが、不輸租とされなかったのでこの年改めて申請し、国司庁宣によって不輸とされ、勅事・院事・国役等を停止されたものであった。ここではまだ荘号がみられないが、これからのちに佐伯庄となったと考えられる。

荘名は東寺文書の正中二年(一三二五)三月日付の注進状に「最勝光院注進寺領庄園年貢所済出物散状事、一丹波国佐伯庄、領家松橋僧正、本年貢近年両月分代銭一貫五百外無済」とみえる。


佐伯庄
さえきのしよう

「続日本紀」天平神護二年(七六六)五月二三日条に記す赤坂あかさか郡より藤野ふじの郡に移管された佐伯郷の郷名を継ぐものか。吉井川右岸の佐伯を遺称地とし、一帯に推定される。池大納言平頼盛の家領であったが、平家没官領として後白河法皇より源頼朝が賜り、寿永三年(一一八四)四月五日頼盛領に復した(「源頼朝下文案」久我家文書)。子の光盛から四女の三条局に預所職が伝えられ、正嘉元年(一二五七)九月一七日の三条局譲状(同文書)が残る。


佐伯庄
さえきのしよう

興福寺雑役免田。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の城下しきのしも郡西郷に「佐伯庄十五町四段」とある。うち不輸租田二段は左馬寮田で、条里(括弧内は坪数)は一三条三里(一)である。公田畠一五町二段の条里は一一条六里(一)、一二条六里(一〇)、一三条一里(一)・二里(一三)・三里(一)、一一条六里(四)、一二条五里(二)・六里(三)である。この条里による所在は大字保田ほた(一二条六里辺り)のほか三宅町大字三河みかわ(一三条二里辺り)に比定される。


佐伯庄
さえきのしよう

興福寺雑役免田。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の広瀬郡に「佐伯庄田畠三町四段百八十歩 公田畠也」とある。公田畠の条里(括弧内は坪数)は、一三条二里名成里(一)・三里(四)、一四条三里(四)・四里(三)である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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