晩田相木村(読み)ばんであいのきむら

日本歴史地名大系 「晩田相木村」の解説

晩田相木村
ばんであいのきむら

[現在地名]福野町晩田ばんで

小矢部おやべ川と大井おおい川・山田やまだ川の合流点南側に位置し、南は前田まえだ村・うめしま村。元和五年(一六一九)の家高新帳による役家数は「はんてん」四、「相ノ木」五。寛永一七年(一六四〇)晩田相木村となったという。正保郷帳では高三四八石余、田方二一町九反・畑方一町三反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三七三石、免五ツ、小物成は山役五五匁・鮭川役四三匁、鮎川役三匁(出来)、ほかに万治元年(一六五八)の新田高一石があった(三箇国高物成帳)。天和二年(一六八二)の検地引高六二石などにより天保一〇年(一八三九)の高二九五石、ほかに当村領として宝永二年(一七〇五)の新開高二〇石余がある(「高物成帳」菊池家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む