普光寺跡(読み)ふこうじあと

日本歴史地名大系 「普光寺跡」の解説

普光寺跡
ふこうじあと

現奈良市法蓮ほうれん町付近にあったとされる奈良時代の寺院であるが、現存しない。聖武天皇の夫人橘宿禰古那可智(広岡夫人)によって建立され、一名広岡ひろおか寺と称した。「東大寺要録」末寺章に「普光寺又云広岡寺 右寺在大和国添上郡、奉為平城後太上(聖武)天皇、以天平勝宝五年八月廿日、正二位広岡夫人公所建立也、以天平宝字四年三月六日、入定額寺」とある。また神護景雲四年(七七〇)五月八日の普光寺牒(薬師院文書)によると、左京二条六坊一六坪にあった東大寺領の四分の三坪の地と同二条七坊一坪にあった普光寺領の地二分の一坪とを、相互の便宜のために交換しているが、旧東大寺領の地の西に接して普光寺の寺地のあったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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