朝日日本歴史人物事典 「景轍玄蘇」の解説
景轍玄蘇
生年:天文6(1537)
戦国から江戸時代初期にかけての外交僧,対馬以酊庵を創建した。号は仙巣。はじめ博多聖福寺の住持であったことから,当地の豪商,嶋井宗室らと親交を深める。天正8(1580)年,対馬島主宗義調の要請に応じて日本国王使として朝鮮へ渡り,以来対馬にとどまり外交活動に専従。また博多商人グループと宗氏との関係を緊密にするなど,経済活動にも影響を与える。文禄の役(1592)前,戦役回避のため小西行長や宗義智らと奔走し,戦後も和平回復に尽力して,慶長14(1609)年,近世日朝間の通交規定,己酉約条を締結させた。この功績により朝鮮国王は特に図書(銅印)を贈り,以酊庵送使船の派遣を許した。詩文集『仙巣稿』がある。
(田代和生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報