グイッチャルディーニ(読み)ぐいっちゃるでぃーに(英語表記)Franceso Guicciardini

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グイッチャルディーニ」の意味・わかりやすい解説

グイッチャルディーニ
ぐいっちゃるでぃーに
Franceso Guicciardini
(1483―1540)

ルネサンス末期のフィレンツェの政治家、政治思想家、歴史家。名門貴族の家に生まれ、外交官や行政官として主としてメディチ家の2人の教皇、レオ10世とクレメンス7世に仕えた。そして政治活動のかたわら『フィレンツェ史』(1509)、『フィレンツェ政体論』(1526)などを執筆した。晩年にはメディチ家のコジモ1世によって政界から退けられ、失意のうちに大著『イタリア史』(1537~1540)の完成に打ち込んだといわれる。彼の作品のなかでもっとも有名なのは『回想録(リコルディ)』であり、そこには人間や政治についての鋭い考察が数多くみられる。政治的には貴族の政治的役割を強調して民主制を抑制する立場をとり、また主としてイタリア各国の同盟によってイタリアへの外国の干渉を防ごうとした。畏友(いゆう)マキャベッリが現状変革のためにさまざまな方策を示したのに比べて、彼は全体として保守的であった。

佐々木毅

『末吉孝州・川本英明訳『イタリア史』全7冊(2001~2007・太陽出版)』『末吉孝州訳『フィレンツェ史』新装版(2006・太陽出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グイッチャルディーニ」の意味・わかりやすい解説

グィッチャルディーニ
Guicciardini, Francesco

[生]1483.3.6. フィレンツェ
[没]1540.5.22. アルチェトリー
イタリアの歴史家,政治家。フィレンツェのメディチ家出身の2人の教皇レオ 10世とクレメンス7世の深い信頼を受け,1516年から 1534年まで教皇領要職にあった。この時期はカルル5世とフランソア1世との間のイタリア戦争の最中にあたり,この難局に教皇領を代表する外交官ならびに行政官として,優れた才能を発揮した。 1537年メディチ家出身のフィレンツェ公アレッサンドロが暗殺されたのを機に公的生活から引退,以後は著作に専念主著『イタリア史』 Istoria d'Italia (1537~40) ,『回想録』 Ricordi (1576) などは,道徳的判断を退けた政治的分析の方法で記述されていて,同時代のマキアベリの諸著作と並んで近代歴史叙述の基礎を築いたものとみなされている。

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