日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノルウェー文学」の意味・わかりやすい解説
ノルウェー文学
のるうぇーぶんがく
ノルウェーの文学は、ノルド祖語とよばれる言語で記されたルーン文字の時代に始まり、その後7世紀ごろから言語は西ノルド語と分類される言語に分化していく。9世紀にアイスランドへの植民が始まり、アイスランドではサガやエッダなどの文学が盛んとなった。この西ノルド語で書かれたアイスランド文学もノルウェー文学の一部として扱われることが多い。とくに13世紀に成立したノルウェー王国史『ヘイムスクリングラ』Heimskringlaは、19世紀の民族ロマン主義の時代にノルウェー人にとって大きな意味をもつものとなる。
1380年にデンマーク王のもとで同君連合(君主制をとる国家間の結合)を形成することとなり、ノルウェーの独立は失われ、それによりノルウェー語が文語として書き記されることもなくなった。宗教改革を機に、デンマークの支配のもとデンマーク語の文語で書かれたノルウェー文学が新たに誕生してくる。1814年にデンマーク支配を離れてからは、スウェーデンとの同君連合の時代に民族主義の高揚を経験する。言語面では後にブークモール、ニューノシュクとよばれる二つのノルウェー語文語が確立されていく。やがてリアリズムと自然主義の時代に入り、19世紀後半にノルウェー文学は黄金時代とよばれる時期を迎えるに至る。20世紀に入ってからは、1905年に真の独立を果たし、ノルウェー人としてのアイデンティティに対する内省的考察から、すぐれた歴史小説が生まれ、またノルウェー各地で郷土文学が盛んとなる。このようにノルウェー文学はノルウェーがたどった歴史と不可分の関係にあり、民族意識の高さ、社会とのかかわり、深い内面性は歴史に由来するといえる。
[福井信子 2017年8月21日]
ノルウェー文学の歴史
中世
ハーラル美髪(びはつ)王Harald Hårfager(ハラルド1世。?―931?、在位885?~931?)により統一されたノルウェー王国は、13世紀ホーコン・ホーコンソン王Håkon Håkonsson(ホーコン4世。1204―1263、在位1217~1263)の時代に最盛期を迎え、このころの文学作品として宮廷の作法を記した『王の鏡』Kongespeiletがある。またノルウェー宮廷が盛んに大陸との交流を行っていたときには、文芸作品も数多く翻訳され紹介されている。1380年にデンマークの支配下に入ってからは、みるべき文学作品は生まれず、ノルウェー文学にとって空白の時代となる。
[福井信子 2017年8月21日]
デンマークの支配時代
1537年の宗教改革以後、とくに18世紀になってからはデンマーク語で著作活動するノルウェー人が重要な役割を担うようになり、1537年から1814年まではデンマーク・ノルウェー共通文学の時代とよばれる。
ノルウェーの最北部ノルラン地方を教区とした牧師であり詩人のダスPetter Dass(1647―1707)は、『ノルランのトランペット』Nordlands Trompet(1739年に出版)、『教理問答の歌』Katechisme-Sange(1714年に出版)を書いた。ベルゲン生まれでコペンハーゲン大学教授を務めたホルベアは、代表的な喜劇のほか、さまざまなジャンルの著作をデンマーク語で発表し、「デンマーク文学の父」とも位置づけられている。
コペンハーゲンで学ぶノルウェー出身者は1772年に「ノルウェー協会」Norske Selskabを設立し、その中心的存在であったウェッセルは悲劇をパロディー化した『靴下なしの恋愛』Kierlighed uden Strømper(1772)で知られる。
[福井信子 2017年8月21日]
民族ロマン主義の時代
1830年ごろから活躍を始めるウェルゲランは、ロマン主義を代表する抒情(じょじょう)詩人であるだけではなく、民衆に対する啓蒙(けいもう)的な活動にも力を注ぎ、ノルウェー文化のアイデンティティ確立のため努力した。その人道的な姿勢は人々に敬愛された。これに対しウェルハーベンは、デンマーク文化とのつながりを保ちつつノルウェー文学をヨーロッパの水準に高めることをまず第一に考え、知的で審美的な詩人・批評家としての側面が強かった。
ドイツ・ロマン主義の影響により、グリム兄弟にならってノルウェーの民間伝承、民話等が盛んに収集されるようになり、アスビョルンセンとヨルゲン・ムーJørgen Moe(1813―1882)は民話集を出版する。また独学で方言を研究したイーバル・オーセンは、その成果をもとにノルウェー語の新しい文語ランスモール(1929年にニューノシュクと名称変更)をつくりだした。一方でデンマーク語の文語もノルウェー語化の過程を経て、後のブークモールへとつながっていく。
[福井信子 2017年8月21日]
リアリズムと自然主義の時代
1850年ごろよりロマン主義の影響を受けながらも、新しい世代が育っていき、リアリズムの傾向が現れてくる。詩人・ジャーナリストとして活躍したビニエは、ランスモールを用いた最初の重要な作家である。また女性運動の先駆的存在であるコレットは小説『知事の娘』Amtmandens Døttre(1854~1855)を書き、このころから女性作家が次々と作品を発表するようになっていった。
19世紀後半から半世紀にわたって、イプセンとビョルンソンはノルウェー文学に多大な貢献をした。さらにヒェラン、リーを加えた4人は、ノルウェー文学黄金時代を代表する作家たちとみなされている。イプセンとビョルンソンはともに歴史劇から創作を始めたが、やがて1870年代になると市民階級を描く現代劇へと関心を移す。『人形の家』Et dukkehjem(1879)をはじめとする一連の社会派戯曲により、イプセンは世界的な名声を獲得する。
ガールボルグはニューノシュクで書いた重要な作家の一人である。自然主義作家として徹底していたのはスクラムAmalie Skram(1846―1905)で、自身の結婚生活を含めゆがんだ社会状況を客観的に分析した。大作『ヘッレミュールの人々』Hellemyrsfolket(1887~1898)は彼女の代表作とされる。
1890年代になると、社会問題から内面的なものへと関心が移り、新ロマン主義ともよばれる傾向が生まれる。ハムスンはデビュー作『飢え』Sult(1890)において近代の人間の意識の内面を描こうとし、その手法は近代の小説を先取りするものであった。伝説や神話、無意識の内面を取り上げた作品が生まれ、キンク(シンク)などの作家、抒情詩の分野でもガールボルグの『丘の妖精』Haugtussa(1895)をはじめ、ウィルヘルム・クラーグ、オプストフェルダーなどが活躍した。この時期ノルウェー文学はドイツを経由して広くヨーロッパで読まれるようになっていく。
[福井信子 2017年8月21日]
20世紀前半
ノルウェーが独立する1905年ごろに活動を始めた作家たちは、当時のヨーロッパ文学の流れからは距離を置き、独立国家としてのノルウェーに思いを馳(は)せる。国土、国民についての省察からすぐれた歴史小説が書かれ、とくに1920年代は豊かな成果を生んだ。中世を題材にしたウンセットの三部作『クリスティン・ラブランスダッター』Kristin Lavransdatter(1920~1922)は名高い。またドゥーンは六部作『ユービク家の人々』Juvikfolke(1918~1923)において、トレンデラーグ地方の海岸を舞台に、ノルウェーの農民社会におけるメンタリティの変化を跡づけている。
前の時代の世紀末的な雰囲気とは対照的に、小説ではふたたび社会問題が取り上げられるようになり、20世紀前半は新リアリズムの時代ともよばれる。ハムスンは『土の恵み』Markens Grøde(1917)で古い農民社会を高貴なものとして描いた。この時代には社会の広い層で、またノルウェー各地を舞台に幅広い作品が生み出されていった。なかでも広範な作品として、労働者階級の成長を描いたウプダールの『影の国をぬけての舞踏』全10巻Dansen gjennom skuggeheimen(1911~1924)、自身鉱夫の経歴をもつファルクバルゲが銅山での生活を描いた『クリスチャン6世』Christianus Sextus(1927~1935)があげられる。
抒情詩においては、ウィルデンベイHerman Wildenvey(1886―1959)、エーベルラン、ブルOlaf Bull(1883―1933)が登場し、この3人は国民的詩人としていまもなお高い人気を保っている。
両世界大戦の戦間期には、フロイトの心理学やマルクス主義が文学に刺激を与え、結果として文化急進派と文化保守派への二極化が起こった。文化急進派を代表するのは、心理的リアリズムに巧みな手法をみせたホールSigurd Hoel(1890―1960)、デンマーク生まれのサンネムーセである。一方、文化保守派として宗教的あるいは倫理的な主題に深くかかわった作家として、クリスチャンセンSigurd Christiansen(1891―1947)、ファンゲンRonald Fangen(1895―1945)をあげることができる。
戯曲は長い間イプセンの伝統から脱しきれないでいたが、1930年代にグリーグがモンタージュ技法により新境地を開いた。また女性詩人ベソースHalldis Moren Vesaas(1907―1995)は1930年代に活動を始め、世界の文学作品を多数ニューノシュクに翻訳したことでも知られている。
[福井信子 2017年8月21日]
第二次世界大戦後から現代にかけて
ドイツに占領されていた時代には、大半の作家がストライキを行い重要な作品は生まれなかった。戦後にはホールの『マイル標識での出会い』Møte ved milepelen(1947)やサンネムーセの『狼(おおかみ)人間』Varulven(1958)など、戦争やナチズムを題材とした小説が書かれる。やがてモダニズムが本格的に紹介され、1950年代にはモダニズムの伝統が確立していく。一方で心理的・社会的リアリズムの伝統はボルゲンやミュクレAgnar Mykle(1915―1994)によって受け継がれていき、戦後のノルウェーでは短編小説のジャンルが大きな役割を果たすようになる。ボルゲンは三部作『リッレロード(小公子)』Lillelord(1955~1957)、ミュクレは『赤いルビーの歌』Sangen om den røde rubin(1954~1956)などの作品を発表している。若い娘の成長を描いた青少年小説『ハルディス』Herdisのシリーズで知られるネードレオースTorborg Nedreaas(1906―1987)もリアリズムの作家である。
この時期を代表する作家タリエイ・ベソースは、『鳥たち』Fuglane(1957)、『氷の城』Is-slottet(1963)において象徴主義とリアリズムの両方を取り入れている。戦後最大の詩人の一人ともみなされているハウゲOlav H. Hauge(1908―1994)は、伝統と革新の両面をあわせもった作風で知られ、またヤコブセンRolf Jacobsen(1907―1994)は、都会や自然保護の視点などを導入し抒情詩に新たな世界を開いた。
1965年ごろから、作家たちの世代交代が急激に進行する。大半が高い教育をうけ、政治に関しては急進的な考えをもち、また国際的な志向も強い若手の作家たちが急速に力をつけてきた。女性作家が増加したことも特徴的である。1960年代なかばに、オスロ大学の学生誌から「プロフィール」という作家グループが生まれる。このグループの作家たちは外からの刺激に対し柔軟で、さまざまな文学的実験を行った。ソルスタDag Solstad(1941― )、オブレスタTor Obrestad(1938―2020)、ホーバスホルムEspen Haavardsholm(1945― )、ボルJan Erik Vold(1939― )、のちにはフレグスタKjartan Fløgstad(1944― )などもこの活動にかかわった。1970年代の新たな女性運動で中心となったのはビークBjørg Vik(1935―2018)である。また短編小説ではレンØystein Lønn(1936―2022)、SF小説ではブリングスバールTor Åge Bringsværd(1939― )、ビングJon Bing(1944―2014)なども活躍する。
[福井信子]
現代のノルウェー文学
1970年代には政治をテーマにした作品や社会主義的なリアリズムが目だったが、1980年代になると作家たちはさまざまな方向を模索し始める。ポスト・モダニズムの代表的な作家として、『ホモ・ファルスス』Homo Falsus(1984)、『誘惑者』Forforeren(1993)のヒャルスタJan Kjærstad(1953― )、『墓の贈り物』Gravgaver(1988)のウルベンTor Ulven(1953―1995)、フォッセJon Fosse(1959― )などがあげられる。一方リアリズムの語りを基調とするのは、三部作『トーラ』Tora(1981~1986)や三部作『ディーナ』Dina(1989~1997)を書いたウァスムーHerbjørg Wassmo(1942― )、『旅の終わりの賛美歌』Salme ved reisens slut(1990)のハンセンErik Fosnes Hansen(1965― )である。そのほか『ビートルズ』Beatles(1984)や『異父兄弟』Halvbroren(2001)のクリステンセンLars Saabye Christensen(1953― )も、多彩な作品を発表している。
ノルウェーの児童文学は子ども向けのラジオ番組から、プリョイセンAlf Prøysen(1914―1970)、エグナー、ベストリAnne-Cath Vestly(1920―2008)が育ち、1960年代に黄金時代を迎えた。次の世代として、ハウゲンThormod Haugen(1945―2008)、ハウガーTorill Thorstad Hauger(1943―2014)などが、中心的な作家となっている。1990年代には、ゴルデルJostein Gaarder(1952― )が青少年向けに書いた哲学史の小説『ソフィーの世界』Sofies verden. En roman om filosofiens historie(1991)が、世界的なベストセラーとなった。
[福井信子]
『フレデリック・デュラン著、毛利三彌・尾崎和郎訳『北欧文学史』(1977・白水社)』▽『山室静著『北欧文学の世界』(1987・東海大学出版会)』▽『谷口幸男編『現代北欧文学18人集』(1987・新潮社)』▽『ステフェン・ハイルスコウ・ラーセン監修、早野勝巳監訳『デンマーク文学史』(1993・ビネバル出版、ささら書房発売)』▽『福井信子・湯沢朱実編訳『子どもに語る北欧の昔話』(2001・こぐま社)』