日本大百科全書(ニッポニカ) 「恩寵の巡礼」の意味・わかりやすい解説
恩寵の巡礼
おんちょうのじゅんれい
Pilgrimage of Grace
ヘンリー8世治下のイングランド北部に起こった反乱(1536~37)。原因としては、北部ジェントリの中央権力に対する不満、「囲い込み」と地代の上昇により惹起(じゃっき)された農民の苦境、小修道院解散を頂点とする宗教的変革への抵抗などがあげられる。初めリンカーンシャーに発した一揆(いっき)(1536年10月)は容易に鎮圧されたが、ヨークシャーで法律家アスクRobert Aske(?―1537)の指導下に始まった騒動は、ヨーク市を占拠、ドンカスターに3万人を集めた(10月24日)。政府側のノーフォーク公は反徒と休戦、彼らの諸要求を国王に提示すること、議会の改革、クロムウェルの処罰などを約した。また大赦が宣せられたので、一揆はアスクの説得に従い解散した(12月6日)。そののち、国王側はジェントリと一般農民との分裂を策し、約束の守られないことに怒って後者が再蜂起(ほうき)する(1537年1月)と、これを徹底的に弾圧、多数の農民を処刑した。反乱の収拾後、さらに「北部評議会」を設置(同年10月)、絶対主義権力の浸透が図られた。
[植村雅彦]