智恵文村
ちえぶんむら
[現在地名]名寄市字智恵文
大正九年(一九二〇)より昭和二九年(一九五四)まで存続した村。北は仁宇布川(ペンケニウップ川)とその支流七線川の分水嶺を挟んで中川郡美深村と接し、東にピヤシリ山・九度山などがある。中央部を天塩川が北西流し、南西部に智恵文丘陵が広がる。大正九年六月下名寄村を割いて智恵文村を設置、二級町村制施行(市町村沿革台帳)。村名は天塩川左岸のチェプ・ウン・トー(魚が入る沼)に由来するという。成立時はチエブン原野、チエブン、クウカルウシュナイの三字を編制、戸口は七〇七戸・三千九二一人、うち農家戸数五二二戸・三千五二二人(国勢調査)。のち智恵文・ユクラミウシュナイが追加された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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