朝日日本歴史人物事典 「曲直瀬道策」の解説
曲直瀬道策
生年:天保9(1838)
幕末の医者,尊攘運動家。号は亨徳院。山城国(京都府)乙訓郡向日神社の社家六人部是香の次男。禁裏医官曲直瀬正元の娘を娶りその養子となる。是香に平田派皇学を学び,勤王の志をいだく。養家の先々代が加賀(金沢)藩侍医を勤めた関係もあって,同藩勤王派の有志に同藩の世子前田慶寧の上洛をうながす。一方,小松帯刀らと船舶運輸業によって利益をあげて志士救済をもくろんだが,募金運動に奔走中,大坂難波新地で幕府の刺客によって殺された。葬地は京都寺町の十念寺。<参考文献>田尻佐編『贈位諸賢伝』
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報