日本歴史地名大系 「曲竹村」の解説 曲竹村まがたけむら 宮城県:刈田郡蔵王町曲竹村[現在地名]蔵王町曲竹矢付(やづき)村の西、松(まつ)川右岸にあり、対岸の北東部は円田(えんだ)村・塩沢(しおざわ)村。南の宮(みや)村より円田に至る笹谷(ささや)街道が通り、一里塚が残る。天文七年(一五三八)の段銭古帳の苅田のうちに「二十貫三百五十文 まかたけ」とみえる。晴宗公采地下賜録によれば、「苅田庄」の「まかたけの内、あとへわかさよりかひち、一とさいこさいけ、一わき内」を小原式部少輔に、「まか竹の内、ねきのさハ一けん、あつきた一けん」を遠藤蔵人に与え、また「まか竹の内、あとへわかさよりかひち、一こき内」は中野常陸介・庄司乳母に安堵している。 曲竹村くせだけむら 埼玉県:飯能市曲竹村[現在地名]飯能市原市場(はらいちば)原市場村の東に位置し、北は中藤(なかとう)村下郷(しもごう)。マガタケ(「村町合併之儀伺」県立文書館蔵)・マガリタケ(郡村誌)ともよんだ。田園簿に村名がみえ、高は田方二斗余・畑方三六石余、幕府領。国立史料館本元禄郷帳でも幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by