苅田(読み)かんだ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「苅田」の意味・わかりやすい解説

苅田(町)
かんだ

福岡県北東部、京都郡(みやこぐん)にある町。1924年(大正13)町制施行。1955年(昭和30)小波瀬(おばせ)、白川の2村と合併。西部は貫(ぬき)山地の山々が分布するが、東部は小波瀬川などのつくる沖積低地が広がり、周防灘(すおうなだ)沿岸部をJR日豊本線、国道10号、東九州自動車道が通じ、南部には国道201号が通じる。苅田港―大阪南港間のフェリー便は1984年に廃止された。2006年(平成18)苅田町および隣接する北九州市の沖合いの人工島に新北九州空港(2008年に北九州空港に改称)が開港した。この海上空港とは2.1キロメートルの新北九州空港連絡橋で結ばれている。『和名抄(わみょうしょう)』や『延喜式(えんぎしき)』にその地名がみられる古い港町であるが、1918年(大正7)地元の石灰岩筑豊(ちくほう)炭を利用する豊国セメント(ほうこくせめんと)工場(現、UBE三菱セメント九州工場)ができて開発が始まり、第二次世界大戦後、苅田港の整備により筑豊炭の積出し港として急速に発展した。港の南に造成された埋立地には九州電力の火力発電所日産自動車の九州工場などが立地、県内でも有数の製造品出荷額を誇る。西日本工業大学のおばせキャンパスがある。平尾台(ひらおだい)北東端の青竜窟(せいりゅうくつ)(鍾乳洞(しょうにゅうどう))は国の天然記念物、御所山(ごしょやま)、石塚山の両古墳は国の指定史跡。白山多賀神社で行われる山伏の祭り「等覚寺の松会(とうかくじのまつえ)」は国指定重要無形民俗文化財。面積49.24方キロメートル(羽島の面積は含まない)、人口3万7684(2020)。

[石黒正紀]

『『苅田町誌』(1970・苅田町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「苅田」の意味・わかりやすい解説

苅田[町] (かんだ)

福岡県北東部,京都(みやこ)郡の町。人口3万6005(2010)。北は北九州市に接し,東は周防灘に臨む。中西部は丘陵性山地が広く分布し,周防灘沿岸と南の小波瀬川沿いに沖積地が開ける。JR日豊本線と国道10号線が海岸部を走り,東九州自動車道の苅田北九州空港インターチェンジがある。九州最古の畿内型古墳石塚山古墳をはじめ古代遺跡群が多い。大正期にセメントの町として栄え,昭和に入り,石炭積出港の建設に着手,第2次世界大戦で中断されたが,戦後,臨海工業地造成を伴って完成された。臨海部に立地した電力,セメント,自動車産業など重化学工業が基盤産業で,苅田港は国際貿易港として発展している。西部のカルスト台地平尾台で採取された石灰石は,コンベヤで臨海工業地まで運ばれている。天然記念物の鍾乳洞青竜窟がある。
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百科事典マイペディア 「苅田」の意味・わかりやすい解説

苅田[町]【かんだ】

福岡県北東部,周防(すおう)灘に臨む京都(みやこ)郡の町。日豊本線,東九州自動車道が通じる。大正期豊富な石灰石と石炭を利用するセメント工業が立地,戦後築港が完成した苅田港が石炭・セメント積出港として発展,火力発電所もでき港湾工業地となった。御所山古墳(史跡),青竜窟(天然記念物)がある。48.88km2。3万6005人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の苅田の言及

【苅田狼藉】より

…田の作物を苅り取ることは収穫という正当な行為である。他人と争いがあるときでも,自己に由緒ありという主張のもとにそれを行う〈苅田〉行為は,中世では自力救済として不法行為とはみなされなかった。イェーリングも自力救済は単なる力ずくの権利の回復であって,素朴な正義に深く根ざした実力行使として秩序ある司法制度と調和する必然性があると説いている。…

【検断沙汰】より

…検断沙汰は刑事裁判の一面にすぎない。苅田狼藉山賊盗み放火夜討【羽下 徳彦】。…

※「苅田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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