曽宮一念(読み)ソミヤ イチネン

20世紀日本人名事典 「曽宮一念」の解説

曽宮 一念
ソミヤ イチネン

大正〜平成期の洋画家,エッセイスト,歌人



生年
明治26(1893)年9月9日

没年
平成6(1994)年12月21日

出生地
東京市日本橋区浜町(現・中央区日本橋浜町)

本名
曽宮 喜七

旧姓(旧名)
下田

学歴〔年〕
東京美術学校西洋画科〔大正5年〕卒

主な受賞名〔年〕
文展褒賞(第8回)〔大正3年〕「酒倉」,二科展樗牛賞(第12回)〔大正14年〕「冬日」「荒園」「晩秋風景」,二科展二科賞,日本エッセイストクラブ賞(第7回)〔昭和34年〕「海辺熔岩

経歴
美校在学中の大正2年光風会展に「桑畑」が入選、3年文展初入選。5年成蹊中学講師。10年より二科展に出品し、14年「冬日」「荒園」「晩秋風景」で樗牛賞受賞。同年〜15年旧制静岡高校講師。昭和6年二科会会員。10〜12年独立美術協会会員、12年国画会入会。戦後21年日展審査員となり、第2回日展に「麦」出品。32年国画会展に「南岳爆発」出品。34年緑内障により右眼失明、40年視力障害により国画会退会、以後無所属となり孤高を保つ。「トレド城山」など風景画で知られる。「紅と灰色」「火の山」など画集は4冊。文筆をよくし、23年随筆「すそ野」以降、平成元年「にせ家常茶飯」までエッセイ集を計16冊出し、昭和33年の「海辺の熔岩」で日本エッセイストクラブ賞受賞。46年両眼失明以後は絵筆を絶ち、かつて訪れた日本各地を思い出しながら歌を詠む。58年歌集「へなぶり火の山」、60年「武蔵野挽歌」を刊行。他に詩集風紋」など。晩年は不自由な身ながら清新自在な書や陶板を発表、個展も開いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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