朝日日本歴史人物事典 「曾我古祐」の解説
曾我古祐
生年:天正14(1586)
江戸前期の幕臣。忠三郎,喜太郎,又左衛門などと称す。始め書院番士となったが,元和1(1615)年大坂夏の陣で抜け駆けを行い,一時閉門となり,のち許された。その後,使番を経て,寛永9(1632)年目付となり,同年肥後の加藤氏の改易のため派遣された。また,翌10年には仮奉行として長崎に赴く。11年大坂町奉行となって,死去直前までこの職にあり名奉行とされた。また,父親は幕府右筆の職にあった曾我尚祐であり,父から伝えられた室町将軍家以来の書札礼を,将軍徳川家光の命により,幕府右筆の久保正元に伝えた。家光政権期の典型的な実務型吏僚といえる。
(小宮木代良)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報