曾我山古墳(読み)そがやまこふん

日本歴史地名大系 「曾我山古墳」の解説

曾我山古墳
そがやまこふん

[現在地名]宿毛市平田町戸内 曾我山

平田ひらた川左岸、標高約二〇メートルの小高い丘陵にあり、丘陵周辺は水田地帯で、水田からの比高は一五メートル。丘陵には古くから曾我神社があり曾我山とよばれ、古墳は曾我山古墳とよばれているが、平田古墳とよぶ場合もある。古墳中期の前方後円墳で、発見は昭和二三年(一九四八)、曾我山が平田中学校校舎建築地に選ばれたことによる。報告として「平田村戸内古墳」(「渭南国立公園候補地学術調査報告書」高知県観光審議会・一九五〇年)がある。現在はほぼ消滅している。

当古墳の長さは約五〇メートル、後円部の径は三〇メートル、後円部の高さは六メートルとみられる。封土には当地方の古墳時代中期の馬場末式土器片が細片になって数多く混入していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の曾我山古墳の言及

【宿毛[市]】より

…失脚した野中兼山の一族は宿毛に40年間幽閉され,墓は安東氏の菩提寺東福寺の背後の西山墓地にある。市街地北西の丘陵には縄文時代の人骨も出土した宿毛貝塚(史)があり,東部の平田にはかつて曾我山古墳があり,近くに式内社の高知坐(たかちにます)神社がある。中山の延光寺は俗に寺山と呼ばれ,四国八十八ヵ所の第39番,土佐路最後の札所。…

※「曾我山古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android