日本歴史地名大系 「月野村」の解説 月野村つきのむら 鹿児島県:曾於郡大隅町月野村[現在地名]大隅町月野月野川に沿って開けた村で、北から東は末吉(すえよし)郷五拾町(ごじつちよう)村などと接する。日向国諸県(もろかた)郡に属し、中世は救二(くに)院、近世は志布志(しぶし)郷に属した。槻野(つきの)村とも記す。大正六年(一九一七)に月野下岡(しもおか)から長治二年(一一〇五)銘の経筒が出土した。岩元(いわもと)城跡の逆修塔には、建武五年(一三三八)八月二七日付で沙弥願阿の銘があったという。大永三年(一五二三)島津勝久と志布志領主新納忠武が当地で激戦を繰広げたとされ(「西藩野史」など)、月野伊屋松野(いやまつの)千人塚はこの戦いの戦死者を葬った地と伝える。永禄元年(一五五八)頃、勝久の父忠国が月野を領有していたとされ、勝久の曾孫忠俊は「月ノ縁語ユエ」島津姓から桂姓に改め、以後桂家の所領であったという(本藩人物誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by