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島津勝久 しまづ かつひさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島津勝久 しまづ-かつひさ

1503-1573 戦国時代の武将。
文亀(ぶんき)3年8月18日生まれ。島津忠昌(ただまさ)の3男。島津氏14代。永正(えいしょう)16年兄忠隆の死後,薩摩(さつま)・大隅(おおすみ)・日向(ひゅうが)の守護職をつぐ。守護職の継承をめぐり,薩州家の島津実久(さねひさ)とあらそい,相州家島津忠良の子貴久を養子とする。のち復権をはかるが,天文(てんぶん)4年貴久に追放され,天正(てんしょう)元年10月15日豊後(ぶんご)(大分県)で死去。71歳。初名は忠兼,のち義忠。通称は又八郎。

出典|講談社
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世界大百科事典内の島津勝久の言及

【大隅国】より

…旧国名。隅州。現在の鹿児島県の一部。鹿児島湾奥の海岸部と内陸部,大隅半島部,半島西南海上の種子島・屋久島等の島嶼部の三つからなる。
【古代】
 西海道に属する中国(《延喜式》)。はじめ日向国の一部をなし,襲国(そのくに)ともよばれ,熊襲(くまそ)・隼人(はやと)の根拠地とみなされていた。割拠の豪族として大隅直(あたい)や曾君(そのきみ),加士伎県主(かしきあがたぬし),肝衝(きもつき)などの名があり,大隅隼人の首領大隅直の地盤と目される半島東南部肝属(きもつき)川一帯に高塚式古墳が少なくない。…

【薩摩国】より

…旧国名。薩州。鹿児島県西半部。
【古代】
 西海道に属する中国(《延喜式》)。大隅国と同じく日向国より分出し,合わせて南九州の三国,奥三州などと呼ばれた。《日本書紀》白雉4年(653)7月条に〈薩麻之曲竹島之間〉とみえ,《続日本紀》大宝2年(702)8月条に薩摩・多褹(たね)を征討し,戸を校(かんが)え吏を置く,10月条に唱更(はやひと)国司の言上で国内の要害に柵を建て兵を置くとあり,その説明に唱更国とは今の薩摩国府なりとあることから,このころ薩摩国は日向国より分出設置されたと思われる。…

※「島津勝久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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