国指定史跡ガイド 「有岡城跡」の解説
ありおかじょうあと【有岡城跡】
兵庫県伊丹市宮ノ前・伊丹にある伊丹氏の城跡。摂津伊丹の地は、鎌倉末期ごろから伊丹氏が居住した所で、猪名(いな)川の西岸、比高差6mの伊丹段丘東縁部の一角に位置する。戦国時代末期の1574年(天正2)には荒木村重が伊丹氏に替わって城主となり、大改造をほどこした。侍屋敷や町屋を堀と土塁で囲んだ総構えの城で、難攻不落とうたわれたが、村重が織田信長に背き、攻められて1579年(天正7)に落城した。この城跡は、1893年(明治26)の軽便鉄道とその後の阪鶴鉄道(現JR福知山線)の開通によって壊れ、現在、西側の一部が残っているにすぎないが、1975年(昭和50)から4年にわたって行われた発掘調査の結果、この遺構は6期に分けることができると判明したほか、各所で濠・石垣・土塁・建物・池・柵などの遺構が検出された。中世城郭から近世城郭への移行の輪郭の一部が明らかにされ、大きな成果をおさめたことなどから、1979年(昭和54)に国の史跡に指定された。1988年(昭和63)に指定範囲が追加され、現在は公園として整備されている。JR福知山線伊丹駅から徒歩すぐ。