有珠郷学校跡(読み)うすごうがつこうあと

日本歴史地名大系 「有珠郷学校跡」の解説

有珠郷学校跡
うすごうがつこうあと

[現在地名]伊達市舟岡町

開拓使に上請して開校された官立の郷学校。跡地は現在の舟岡ふなおか町にあった旭ヶ岡あさひがおかとされる(新稿伊達町史)。明治三年(一八七〇)に管轄地の有珠郡に集団移住した仙台藩亘理伊達家の伊達邦成は、藩士の子弟教育にきわめて熱心で、第一回の移住後まもなく私塾を開き、寺子屋式教育が行われた。明治五年に学制が発布されると、邦成は郷学校の設立を開拓使に上請、同年八月に官立有珠郷学校が開校した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む