有珠郷学校跡(読み)うすごうがつこうあと

日本歴史地名大系 「有珠郷学校跡」の解説

有珠郷学校跡
うすごうがつこうあと

[現在地名]伊達市舟岡町

開拓使に上請して開校された官立の郷学校。跡地は現在の舟岡ふなおか町にあった旭ヶ岡あさひがおかとされる(新稿伊達町史)。明治三年(一八七〇)に管轄地の有珠郡に集団移住した仙台藩亘理伊達家の伊達邦成は、藩士の子弟教育にきわめて熱心で、第一回の移住後まもなく私塾を開き、寺子屋式教育が行われた。明治五年に学制が発布されると、邦成は郷学校の設立を開拓使に上請、同年八月に官立有珠郷学校が開校した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む