出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
横浜市中区の北部地区。JR根岸(ねぎし)線(関内駅)から北東へ、海岸の埠頭(ふとう)地区へ広がる市街地。1854年(安政1)に日米和親条約の調印地となったのをはじめ、横浜開港(1859)後は埠頭をはじめ、貿易(税関、商社)、行政(県庁、市役所、外国公館)、金融(銀行)などの諸機関が集中して横浜の中心街区をなす。地名の由来は、開港当初外国人と攘夷(じょうい)武士の摩擦を恐れた幕府が、貿易諸機関や外国人居留地のあったこの地区周辺の水路橋畔(きょうはん)に黒門の関所を設けて出入りを調べたことによる。埠頭近くを中心に日米和親条約締結記念碑や開国旧跡の神奈川運上所跡(神奈川県庁)、横浜町会所跡(横浜市開港記念会館)、英一番館跡(シルクセンター)、横浜開港資料館が集まり、日刊新聞発祥地、電信創業地、英語教授ヘボン博士宅跡など文明開化の旧跡が多く、日本大通り、横浜公園、横浜スタジアムもある。市営地下鉄関内駅、横浜高速鉄道みなとみらい線の日本大通り駅がある。
[浅香幸雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…中国,陝西省の渭河平原のこと。東は函谷関,西は隴(ろう)関までの間,また東は函谷,南は武関,西は散関,北は蕭関に通ずる地域なのでその名が生まれたといわれ,関内というのと同義である。軍事的に要害であるほか,西方はシルクロードにつながり,南は四川に至る交通の要地でもある。…
…人口では東京23区に次いで全国第2の都市である。
[開港と関内地区]
現市域には江戸時代,東海道沿いに神奈川,保土ヶ谷,戸塚の3宿があり,神奈川は江戸湾に臨む港でもあったが,横浜は砂州上の一寒村であった。1853年(嘉永6)のペリー来航,58年の日米修好通商条約によって59年6月2日横浜は開港した。…
※「関内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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