服部永谷村(読み)はつとりながたにむら

日本歴史地名大系 「服部永谷村」の解説

服部永谷村
はつとりながたにむら

[現在地名]福山市駅家えきや町服部永谷

服部本郷はつとりほんごう村の南に位置、服部川が貫流する細長い谷であるため、永谷の地名が起こったものであろう。当地には古墳も多く、古代の服織はとり(和名抄)の所在地とされる。元和五年(一六一九)備後国知行帳には「永谷村」とみえ高三一四石余、「寛文朱印留」でも同表記、元禄一三年(一七〇〇)の備前検地帳から服部永谷村(高四三八石余)となる。同郡内に向永谷むこうながたに村があり、それとの混同を避けるため服部を冠したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む