日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝妻筑摩」の意味・わかりやすい解説
朝妻筑摩
あさつまちくま
滋賀県北東部、米原市(まいばらし)の一地区。明治初年までは朝妻と筑摩の2村であった。『和名抄(わみょうしょう)』の朝妻郷の地で、平安時代には法勝(ほっしょう)寺領朝妻荘(しょう)。天野川河口、琵琶(びわ)湖の朝妻入江(筑摩江)に面し、東山道と北陸道の分岐点にも近く、古代、中世を通じ東海、関東と京都を結ぶ要地であった。朝妻と大津を往来する舟を「朝妻舟」といい、遊女を乗せることが多く、『東路記』『新続(しんしょく)古今集』などに詠まれている。また英一蝶(はなぶさいっちょう)の描いた『朝妻船』は名高い。しかし1603年(慶長8)米原港が開かれ、急速に衰微した。朝妻公園に朝妻湊跡の石碑がある。筑摩は古代は皇室の御厨(みくりや)でもあった。筑摩神社の「鍋冠(なべかんむり)祭り」は平安時代から続く奇祭として知られる。
[高橋誠一]