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滋賀県米原市にある琵琶湖岸の港。その名のおこりは大和朝妻より朝妻造の一族が移住したとの伝承にある。東山・北陸両道の分岐点箕浦のすぐ西に位置していたため古代より湖北の要港として栄えた。《和名抄》に坂田郡九郷の一つとして朝妻郷がみえ,《延喜式》には皇室の御厨として朝妻筑摩の名がみえる。鎌倉期には朝妻郷の地域を中心とする朝妻荘があり,当初法勝寺領であったが,亀山院-昭慶門院-恒明親王-臨川寺と伝領された。時代が下るとともに朝妻荘は法勝寺郷・十二条郷・十三条郷などに分散して支配された。戦国期には要害の地として朝妻城が築かれ,浅井・六角両氏によって争奪戦がくり広げられた。織田信長が近江を支配するとともに直轄地となり,代官木村藤兵衛により支配された。1603年(慶長8)彦根藩によって米原港が開かれたため衰微した。鎌倉以降,朝妻から大津まで遊女を乗せて遊興し,詩歌の題材として取り上げられた〈朝(浅)妻船〉が往来した。また転じて,船の中で客をとる遊女を朝(浅)妻とも呼んだ。
執筆者:小林 保夫
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…人口1万2520(1995)。古くから交通の要衝で,天野川河口の朝妻は古代から中世にかけて琵琶湖水運の要港であり,米原は北国街道の,東部の醒井(さめがい)は中山道の宿場町であった。また1603年(慶長8)に開かれた米原湊は松原湊(彦根市),長浜湊とともに〈彦根藩三湊〉の一つとしてにぎわい,朝妻にとって代わった。…
※「朝妻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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