木之目村(読み)このめむら

日本歴史地名大系 「木之目村」の解説

木之目村
このめむら

[現在地名]笠岡市相生あいおい

笠岡村の西、谷間に位置し、西は吉浜よしはま村。「水野記」ではキノメと訓ずる。元和五年(一六一九)備後福山藩領となり、以降の領主の変遷は笠岡村に同じと考えられる。寛永備中国絵図では入海に面する海浜の村で、高六〇石。正保郷帳でも同高で、枝村に小丸村が載る。元禄一三年(一七〇〇)検地帳(笠岡市史編さん室蔵)では田高三六石余・畑高三一石余、屋敷数一二(高二石余)、郷倉一。反別は田方三町六反余・畑方五町三反余で、田は中田が、畑は上畑が最も多い。「備中村鑑」では高七九石余。寛文元年(一六六一)吉浜新田の造成により地先海面は陸地化されたが、正保期(一六四四―四八)から元禄期にかけての約一〇石の増加はこの干拓によるものとも考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android