木呂子村(読み)きろこむら

日本歴史地名大系 「木呂子村」の解説

木呂子村
きろこむら

[現在地名]小川町木呂子

勝呂すぐろ村の北東に位置し、男衾おぶすま郡のうちで玉川たまがわ領に属した。竹沢たけざわ六村の一(風土記稿)地名は戦国期に松山まつやま(現吉見町)城主上田氏の家臣であった木呂子氏にちなむと考えられる。政所改戸まんどころかいと政司改戸しようじかいとなどの地名が残り、中世には開発されていたことがうかがえる。延宝元年(一六七三)竹沢村水帳によれば、木呂子分は高一三六石余、反別は田七町七反余・畑二一町余・屋敷七反であった(小川町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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