木器村(読み)こうづきむら

日本歴史地名大系 「木器村」の解説

木器村
こうづきむら

[現在地名]三田市木器

香下かした村の北、大船おおふね山連峰と羽束はつか山に囲まれた高平たかひら谷の入口部に位置し、中央を羽束川が南流する。南は波豆はず(現宝塚市)。北へは田中たなか村―小柿こがき村から丹波国多紀たき後川しつかわ(現篠山市)へ出る道、田中村から乙原おちばら村―母子もうし村を経て小枕こまくら(現篠山市)に出る道、東へは大坂おおさか峠から波豆川はずかわ村を経て能勢のせ妙見(現大阪府能勢町)への道、くら峠から大原野おおはらの(現宝塚市)を経て池田へ至る道、西へは尼寺にんじ村へ出る道、また香下村への道も通じていた。弘安元年(一二七八)頃と推定される金堂上棟引馬注進状(多田神社文書、以下断りのない限り同文書)によると、多田ただ(現川西市多田神社)の御堂上棟会に散所御家人の「木器四人」が寄合って馬一疋を引進めている。応安元年(一三六八)四月八日、多田院の金堂修理供養料のため木器村は九六家分の棟別銭を納めている(金堂供養棟別銭注文)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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