尼寺(読み)あまでら

精選版 日本国語大辞典 「尼寺」の意味・読み・例文・類語

あま‐でら【尼寺】

〘名〙
① 尼の住む寺。比丘尼寺(びくにでら)キリスト教修道女の住む修道院をもいうことがある。
書紀(720)舒明即位前「唯し兄子(このかみ)にあたる毛津のみ、尼寺の瓦舎(かはらや)に逃げ匿(かく)る」
② 神奈川県鎌倉市の東慶寺の称。縁切寺として有名であった。
※雑俳・柳多留‐五(1770)「あまでらに行って我身にして帰り」

に‐じ【尼寺】

〘名〙 尼(あま)の住む寺。あまでら。
続日本紀‐大宝元年(701)八月甲辰「観世音寺筑紫尼寺封、起大宝元年計満五歳

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デジタル大辞泉 「尼寺」の意味・読み・例文・類語

あま‐でら【尼寺】

尼僧の住む寺。比丘尼寺びくにでら
カトリックで修道女が住む修道院。

に‐じ【尼寺】

あまでら。「国分寺と国分尼寺

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改訂新版 世界大百科事典 「尼寺」の意味・わかりやすい解説

尼寺 (あまでら)

比丘尼(びくに)の止住する寺。元来は比丘尼寺とよび,俗に庵寺(あんでら)ともいう。中国では4世紀初めに洛陽城の西に建立された竹林寺が尼寺の初めといわれ,朝鮮にも高句麗,百済に尼寺があった。日本では司馬達等の娘善信尼などが,584年に出家して桜井寺に住したのが初見である。聖徳太子建立7ヵ寺と伝える中に,中宮斑鳩),橘,池後,葛城の4尼寺があり,行基建立の寺院では僧寺と並んで尼寺が建てられた。国分尼寺は法華滅罪寺と呼ばれ尼僧10人を置き水田10町が施入された。8世紀には尼寺の数も増加したが,律令制の崩壊とともにその多くは衰滅していった。室町時代には禅家五山の例にならって,京都尼寺5寺を選び尼寺五山を定めた(景愛,通玄,檀林,護念,恵林の5寺)。鎌倉においても太平,東慶,国思,護宝(法),禅明の5寺が五山といわれた。なお,皇族などの息女住持,相承する寺を比丘尼御所または尼門跡と呼ぶ。
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普及版 字通 「尼寺」の読み・字形・画数・意味

【尼寺】にじ

あま寺。

字通「尼」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の尼寺の言及

【大和[町]】より

…町域は南北に長く,北部は脊振山地の南斜面で,中央を川上川(嘉瀬川)が流れて南部に扇状地を形成する。久池井(くちい)付近は古代の肥前国府があった地といわれ,尼寺(にいじ)には国分寺跡,国分尼寺跡があり,国分,惣座(惣社)(そうざ)などの地名も残る。また久留間(くるま)の今山には県下最大の前方後円墳船塚古墳(全長114m)がある。…

【尼】より

…尼を敬称して尼御前という。尼僧の住する寺を尼寺といい,門跡寺院の尼僧住持を尼門跡という。男僧と尼僧とによって奉祀される寺院があり,長野市善光寺は大勧進と大本願とからなり,前者は男僧,後者は尼僧で旧華族から選ばれ,尼公と尊敬される。…

※「尼寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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