木村谷地新田村
きむらやちしんでんむら
[現在地名]鶴岡市白山
白山林村の南西にある。天保郷帳などには木村新田村とある。享保年間(一七一六―三六)科皮堰開削により成立した新田村。開発者は鶴ヶ岡城下十日町の豪商三浦仁兵衛で、元禄―宝永(一六八八―一七一一)頃赤川の船繋用の縄を科皮縄に替えることを助言し、成功を収めたことから科皮屋とよばれた(筆濃余理)。享保五年湯尻川と下清水村との間に広がる木村谷地・清水谷地・白山林谷地・矢馳谷地一帯を新田開発するために、金峯山の東麓高坂村で青竜寺川から取水する用水路の開削を藩から許可された。堰は高坂堰・民田堰の余水をもらい受けるかたちとなり、掛樋で青竜寺川を渡し、井岡村塔の腰糀山を掘抜き山浜通へ至り、享保九年引水に成功した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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