興屋村(読み)こうやむら

日本歴史地名大系 「興屋村」の解説

興屋村
こうやむら

[現在地名]余目町余目

まち村の西にある。館廻たてまわり・館廻興野村・館廻北口たてまわりきたぐち村・興野こうや村とも記された。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では余目館廻村に含まれる。天和二年(一六八二)の酒井忠高分知村高(鶏肋編)では興屋村とあり、高三三三石余。支配領主変遷は町村と同じ。延享三年(一七四六)の狩川通大概手控帳(高橋文書)では高三三七石余、うち畑高一一三石余、免四ツ四分、家数四八(百姓一五・水呑三〇・名子一・山伏寺二)、人数二三八(男一三四・女一〇四)、馬八。用水は町村堰(猿田用水)にたよった。末水掛りの村で水不足に悩み、当村彦作は安政五年(一八五八)北楯大きただておお堰の大水門より東興野村(現立川町)の水門辺りまでの普請を条件に水揚増加を願出た(「大堰筋修覆願」佐々木文書)


興屋村
こうやむら

[現在地名]羽黒町染興屋そめこうや

中里なかざと村の北西にあり、東は町屋まちや村、西は川行かわつら村。元和八年(一六二二)庄内藩領となり、同年の酒井氏知行目録に村名がみえ、高二七六石余。以後の領主の変遷は大口おおぐち村に同じ。寛永元年庄内高辻帳では高二八〇石余、正保郷帳ではなか村に含まれて高付される。安永三年(一七七四)の公領田圃録(八幡文書)では田高二六七石余・畑高一三石余、家数二三・人数九一、馬一三。定免村で享保一三年(一七二八)の免は二ツ九分(「年代山公事諸用留」桜林坊文書)


興屋村
こうやむら

[現在地名]村上市西興屋にしこうや

南流する三面みおもて川左岸にあり、南東は四日市よつかいち村、北東は小川おがわ(現岩船郡朝日村)に接し、北西は三面川を隔てて寺尾てらお(現同上)に対する。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「鮎川分大国但馬分寺尾かうや村 下」とみえ、本納三二石四斗三升・縄高七五石四斗九升、家五軒とあり、三面川右岸に描かれる。正保国絵図では三面川が二流に分れ、島となっている個所に「興屋村」と記される。


興屋村
こうやむら

[現在地名]櫛引町西片屋にしかたや

現町域の中央南端、北流するあか川から分れる青竜寺しようりゆうじ川の分流点近くに位置し、西は熊出くまいで(現朝日村)。同村から六戸が移住し、開田したのが始まりと伝える。赤川沿岸に寛政元年(一七八九)銘の「左ゆとの山道 右くしびき道」と記された追分石があり、板井川いたいがわ村枝郷の片茎かたぐき大鳥おおとり街道から分岐南下して当地で赤川対岸の東岩本ひがしいわもと(現朝日村)へ渡河して六十里越街道へと合する通称岩本道が通る(幕末頃「鶴岡・大鳥道法図」工藤家蔵)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に「興屋」とみえ、北接する西岩本村のうちに含まれて高付された。


興屋村
つじこうやむら

[現在地名]鶴岡市辻興野つじこうや

長崎ながさき村の南、大山おおやま川西岸にある。筑地興屋つじこうやとも記されたという。慶長一六年(一六一一)検地帳(辻興野地区文書)に村名がみえ、本田二千八八三束刈・一九石余、出目一千一〇九束刈・七石余、苗代八〇刈・八斗、発田一一七束刈・八斗余、本畠七斗余。屋敷三・家数五(なこ共)とあり、名請人は九名。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高五九石余。寛永元年庄内高辻帳では高一六〇石余、正保郷帳では田高一四六石余・畑高一四石余、新田がある。


興屋村
こうやむら

[現在地名]鶴岡市白山しらやま

寺田てらだ村の西にあり、温海あつみ街道がほぼ東西に通る。北は大淀川おおよどかわ村、西は白山林しらやまばやし村。白山興屋しらやまこうや村ともよばれる。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に白山林村の内として境興屋さかいこうやとみえ高三八石余。寛永元年庄内高辻帳では田川郡に属し、白山林興野しらやまばやしこうや村とあり高六〇石余。正保郷帳では白山林村に含まれる。正保庄内絵図(本間美術館蔵)では興屋村とみえ、高六〇石余。


興屋村
こうやむら

[現在地名]神林村葛籠山つづらやま

あら川の右岸、葛籠山村の南にあり、村域が錯雑する。文禄三年(一五九四)の色部氏差出(斎藤実寿氏蔵)には貝付かいつけ(現荒川町)一七一石八斗分に「こう野村共」と記される。正保国絵図には「奥屋村 四十石余」とある。元禄郷帳に村名がみえる。村上藩領に属し、のち幕府領となり、幕末は会津藩領。延享三年(一七四六)の巡見使案内帳(大滝正輔氏蔵)によると、高四六石六斗余、田九反九畝余・畑五町二反六畝余。


興屋村
こうやむら

[現在地名]村上市東興屋ひがしこうや

臥牛がぎゆう(村上城)の東方、門前もんぜん川左岸に位置する。東は坪根つぼね村、西は中間ちゆうげん町に接する。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図に「大国但馬分かうや村 下」とみえ、本納一四石八斗・縄高三四石八斗八升五合、家三軒とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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