木蓮寺村(読み)もくれんじむら

日本歴史地名大系 「木蓮寺村」の解説

木蓮寺村
もくれんじむら

[現在地名]入間市木蓮寺

みね村の西、加治かじ丘陵南麓の通称金子かねこ山にある。西は多摩郡今井いまい(現東京都青梅市)、南は富士山栗原ふじやまくりはら新田(現東京都瑞穂町)。中央をかつら(現霞川)が東流し、丘陵南麓を根通ねどおり道、南部台地上を東西に青梅道、羽村はむら(現東京都羽村町)へ至る道が通る。鎌倉時代には村山党金子氏の所領とされ、村名は金子十郎家忠の妻の法諡木蓮寺殿に由来するという(風土記稿)。元亀三年(一五七二)九月吉日金子越中守家定らにより寺竹の白鬚てらたけのしらひげ神社へ奉納された十一面観音坐像懸仏銘に、「入東郡金子郷木連枝」とみえる。江戸時代には入間郡金子領に属した(風土記稿)。田園簿には木蓮寺村とあり、田三九石余・畑六三石余、ほかに野銭永一四六文、瑞泉ずいせん寺領一五石があった。幕府領。延享三年(一七四六)から天保三年(一八三二)まで三卿の田安領(「田安領知村高記」葛生家文書など)幕末の改革組合取調書では幕府領、旧高旧領取調帳では上野前橋藩領。

検地本村と南に続く武蔵野新田はともに寛文八年(一六六八)に実施され、本村は反別二五町一反余、うち田四反余・畑二三町九反余・屋敷六反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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