日本歴史地名大系 「今井村」の解説
今井村
いまいむら
中世は
今井村
いまいむら
- 埼玉県:本庄市
- 今井村
本庄台地の末端に近く、台地形成期の洪積世台地上と沖積世に形成された水田地帯に広がる村。南部は水田地帯、中部は集落地域、北部は田畑が入交じる。東は
今井村
いまいむら
八木村西南に位置。村内の
とある。戦国末から織豊期にかけては米穀・繰綿・綿布・味噌・醤油・油などの取引が活発で、「かわし」の組織もあり、大和一円と取引があった(多聞院日記など)。
今井村
いまいむら
周桑平野の西部に位置する。東は
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
古代から
今井村
いまいむら
- 福岡県:行橋市
- 今井村
今井村
いまいむら
信濃川が
近世を通じて新発田藩領で、慶長三年(一五九八)頃の御領内高付帳(新発田市史資料)には「今井村」とあり、
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
天正一五年(一五八七)黒田孝高領、慶長五年(一六〇〇)中津藩領となるが、元和六年(一六二〇)中津藩主細川氏が主城を豊前小倉に移したため小倉藩領となる。
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
- 埼玉県:熊谷市
- 今井村
埼玉郡
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
東は虎御門の南、南は
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
- 福井県:大野市
- 今井村
今井村
いまいむら
- 神奈川県:小田原市
- 今井村
東南を
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
東は
天正一九年(一五九一)幕府直轄領と旗本勝部領の二給、寛永二年(一六二五)頃旗本勝部・筒井領と幕府直轄領の三給、宝永二年(一七〇五)幕府直轄領が江戸芝増上寺領となる。延享四年(一七四七)の稲毛川崎用水通田反別堰々諸色人足一件(横浜市添田文書)によれば田二一町八反余、畑二二町七反余。
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
- 長野県:岡谷市
- 今井村
北部には
村名の初見は、天正一九年(一五九一)の日根野高吉宛行状(岡谷市史)に「五拾石 森新八分 今井村」とある。慶長三年(一五九八)の「今井之郷 初町之写」という検地野帳(諏訪史料叢書)があり、今井村ではこの年新しく検地が行われている。同一九年中山道が塩尻峠越えに変わってから以後は、下諏訪宿と塩尻宿との間の
今井村
いまいむら
- 長野県:佐久市
- 今井村
南は千曲川の断崖、背面は
永禄八年(一五六五)一一月武田信玄の「諏方上社祭祀再興次第」(諏訪大社上社文書)に「佐久郡之内為拾一郷之役(中略)八百文今井之郷」とあるのが初見。「和名抄」記載の
初め
今井村
いまいむら
- 群馬県:前橋市
- 今井村
村域中央を
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
北は
元暦元年(一一八四)正月二〇日近江の粟津で義仲とともに戦死した今井兼平は義仲から「更級郡富部郷今井」を拝領していた。村域にある兼平の菩提寺
元和二年(一六一六)岩城貞隆領、同八年仙石氏上田領、宝永三年(一七〇六)松平氏上田領、享保二年(一七一七)幕府領、同一五年塩崎旗本知行所支配となり明治に及んだ。
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
- 愛知県:犬山市
- 今井村
北と東は美濃国
字
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
- 奈良県:五條市
- 今井村
吉野川北岸、五条村東方に位置する。正平一三年(一三五八)、元中二年(一三八五)の栄山寺文書に「今井庄」とある。当村北方に
慶長郷帳では「今井大崎あんしようし之内」とみえ、村高は八〇〇・七石。五条二見藩(松倉重政)領。元和二年(一六一六)松倉氏の転封で幕府領(代官宗岡弥右衛門)に編入され、同五年郡山藩(松平忠明)領となる。
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
今井村
いまいむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報