木野戸勝隆(読み)キノト カツタカ

20世紀日本人名事典 「木野戸勝隆」の解説

木野戸 勝隆
キノト カツタカ

明治〜昭和期の国学者,神官 賀茂別雷神社宮司



生年
嘉永7年11月9日(1854年)

没年
昭和4(1929)年11月13日

出生地
伊予国喜多郡大洲(愛媛県)

経歴
伊予大洲で加藤家の臣・勝誼を父に生まれる。幼くして漢学を修め、古学堂に入り古学を専修した。のち平田篤胤門下矢野玄道に学ぶ。明治7年京都に出た後、駿河浅間神社、三島神社、岩代霊山神社、久能山東照宮に務め、26年伊勢神宮権禰宜となり、ついで神宮皇学館教頭、27年伊勢神宮禰宜に昇進する。28年神都名勝誌編輯に携わり、38年古事類苑を校閲した。43年少宮司となり神宮皇学館館長、徴古館長・農業館長を兼務。のち近江多賀神社宮司、大正7年京都の賀茂別雷神社宮司を歴任し、9年勅任官待遇となり、昭和4年隠退した。著書に「富士浅間大神御伝略記」「祭式摘要」「定本古語拾遺」「神典翼補遺」「新撰姓氏録考証補遺」「矢野先生外伝」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木野戸勝隆」の解説

木野戸勝隆 きのと-かつたか

1854-1929 明治-昭和時代前期の国学者,神職。
嘉永(かえい)7年11月9日生まれ。平田篤胤(あつたね)門下の矢野玄道(はるみち)にまなぶ。明治27年伊勢神宮禰宜(ねぎ),43年神宮皇学館館長,大正7年京都の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社宮司。昭和4年11月13日死去。76歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。著作に「神典翼補遺」「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)考証補遺」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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