木須城跡
きすじようあと
[現在地名]伊万里市木須町字里
南側は急で、北部は標高九〇メートル台の丘陵の西側に空堀跡がある。
永徳四年(一三八四)二月二三日付の下松浦住人等一揆契諾状案(松浦山代家文書)に「因幡守壱」が孔子次第で署名している。木須因幡守壱は木須城主であった。木須一族の遺跡と思われるものとして、観音屋敷跡に永禄九年(一五六六)銘の六地蔵、堂坂に天正七年(一五七九)銘の不動明王種子の板碑、木起神社境内に天正八年銘の六地蔵や十六仏塔がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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