日本歴史地名大系 「末吉野牧」の解説 末吉野牧すえよしのまき 鹿児島県:曾於郡大隅町中之内村末吉野牧[現在地名]大隅町中之内近世、鹿児島藩が置いた馬牧。史料上は末吉野牧場苑などとみえ、所在地により梶(かじ)ヶ野(の)牧ともいう。元和三年(一六一七)志布志笠祇(しぶしかさぎ)岳下の烏帽子(えぼし)野牧(現志布志町)を当地に移転したもの。周囲は「鹿児島県史」では三里二二町余、「三国名勝図会」では五里二〇町余で、その領域は恒吉(つねよし)郷坂元(さかもと)村に及び、同村で福山(ふくやま)野牧と隣り合っていた。坂元村には両牧の堀、つまり馬が牧外に出るのを防ぐ高さ九尺ほどの土手が相接する所があり、現在も二重堀(ふたえぼり)の地名が残る。牧馬は宝永六年(一七〇九)には五〇〇頭と多かったが、以後はしだいに放牧頭数が減少していったという(鹿児島県史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by