鹿児島湾に位置する火山で、最高峰は北岳(1117メートル)。複数の火口があり、2020年は432回、21年は145回の噴火が観測された。鹿児島市の市街地を含め、周辺では日常的に降灰が観測されている。かつては島だったが、1914年の「大正噴火」の際、流れ出した溶岩が海を埋め、大隅半島と陸続きになった。
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鹿児島湾の奥部に位置する火山。鹿児島側から見ると巨大な島となって同湾に浮ぶが、大正三年(一九一四)の大噴火により大隅半島との海峡(瀬戸海峡)が溶岩で埋尽され、現在は大隅半島から丸く湾内に突き出す半島状を呈している。現在、北西半部が桜島町、南東半部が鹿児島市に属する。中世から近世初期には向島(ムカイジマ、ムコウジマ)・向之島(ムカイノシマ、ムコウノシマ)などと史料にみえる。また「続日本紀」天平宝字八年(七六四)一二月是月条にみえる「麑嶋」を桜島のこととする説がある。桜島の名称について、「三国名勝図会」は大隅国に赴任していた桜島忠信の名および同人が詠んだ歌に由来するという説と、島に祀られた五社大明神(現桜島町横山の月読神社)の祭神木花佐久夜姫にちなみ
桜島の山頂は北緯三一度三五分・東経一三〇度三九分付近にあり、
桜島の形成は第四紀(約二万二千年前)の入戸・妻屋火砕流や大隅降下軽石など多量の噴出によってできた姶良カルデラの南縁に、約一万三千年前から新たな火山活動が起こったことに端を発すると考えられている。有史時代に入って最も古い噴火記録は天平宝字八年の噴火である(続日本紀)。文明年間(一四六九―八七)にも噴火があり、文明溶岩の名称も残る。近世では安永八年(一七七九)の噴火が最大で、南岳南側山腹が爆発、続いて北東側山腹が爆発、溶岩流出を伴い、多数の死者を出した。北東側からの溶岩流は海に流入し、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鹿児島湾(錦江湾(きんこうわん))北奥部の姶良カルデラ(あいらかるでら)(直径20キロメートル前後)の南縁部に生じた第四紀の火山島(東西約10キロメートル、南北約8キロメートルの長円形)であったが、1914年(大正3)の溶岩流で大隅(おおすみ)半島と陸続きになった。同年1月12日からの大噴火で、東側へ流出した多量の溶岩が、同月29日大隅半島との間の東桜島水道(幅約400メートル、深さ約70メートル)を埋め尽くした。西方の鹿児島市街(薩摩(さつま)半島)との間には幅約3キロメートルの西桜島水道がある。北西半部は鹿児島県桜島町に、南東半部は鹿児島市に属していたが、2004年(平成16)の市町村合併により、全域が鹿児島市となった。
西日本火山帯に属し、安山岩からデイサイト質の複合成層火山で、日本の代表的活火山。頂部は、最高峰(標高1117メートル)の御岳(おたけ)(北岳ともよぶ)と、中岳(1060メートル)、南岳(1040メートル)の3峰からなるが、鍋(なべ)山、引ノ平(ひきのだいら)など寄生火山や寄生火口も多い。火山砕屑(さいせつ)物、溶岩流、火砕流堆積(たいせき)物が複雑な地形を構成している。山頂火口は、御岳が直径約600メートル、深さ約100メートル、中岳が南北約400メートル、東西約200メートル、深さ35メートル、南岳が南北約650メートル、東西約450メートル、深さ約250メートル(噴火で変動中)。桜島は有史以後(708年~)も噴火を繰り返してきた。大規模な山頂噴火は南岳に限られたが、山腹ないし付近海底からの大きな噴火もあった。1471~1476年(文明3~8)、1779年(安永8)、1914年(大正3)、1946年(昭和21)の大噴火は山腹でおき、溶岩流が山麓(さんろく)の集落を襲った。大正噴火の火山爆発指数(VEI)は5。1972~1992年(昭和47~平成4)には南岳からの活発な爆発を繰り返した。
2006年(平成18)からは南岳の昭和火口で噴火が始まり、しだいに活発化しており、2011年には1000回以上の爆発を繰り返した。桜島やその東方だけでなく、鹿児島市街までしばしば降灰しており、島内では泥流災害が発生している。2015年8月15日には島内を震源とする火山性地震が多発し、これまで観測されたことのない大きな地殻変動が起こったため、大規模な噴火が発生する可能性が非常に高くなっているとして、気象庁は桜島に噴火警報を発表し、噴火警戒レベルをレベル3(入山規制)からレベル4(避難準備)に引き上げた。しかし、その後火山性地震が減少し、地殻変動も止まっているため、気象庁は以前の火山活動に戻っていると判断し、噴火警戒レベルを引き下げている。
鹿児島地方気象台と福岡管区気象台が常時火山観測を続け、火山解説情報、火山予報・警報を公表している。桜島には全国共同利用研究所の火山活動研究センターがある。
文明(ぶんめい)・安永(あんえい)両溶岩流地域では、アラカシ、タブノキなどの照葉樹林がみられるが、大正・昭和両溶岩流地域は、裸地、貧植生地や、クロマツ、ヤシャブシなどの低木林の所が多い。半鹹水(かんすい)の小池「園山池(そのやまいけ)」でみられる紅藻類のタケコケモドキは、シドニー(オーストラリア)、ニュージーランドの一部と、分布がごく限られた珍種である。
主要産業はミカン、ビワなどの果樹栽培である。昔から名産のサクラジマダイコンは、近年の連続的噴火による降灰砂や火山ガスで害され、生産が減少している。霧島錦江湾国立公園の一部で、古里(ふるさと)・黒神(くろかみ)温泉もあり、林芙美子(ふみこ)文学碑や埋没鳥居も知られる。鹿児島港―桜島港(袴腰(はかまごし))はフェリーボートで約15分。
[諏訪 彰・塚田公彦・中田節也 2015年8月19日]
2022年(令和4)7月24日20時05分、南岳山頂火口において爆発が発生。大きな噴石が弾道を描いて飛散し、火口から約2.5キロメートルまで達した。この噴火により、気象庁は噴火警戒レベルを3(入山規制)から最大のレベル5(避難)に引き上げた。鹿児島市は同日、南岳山頂火口および昭和火口からおおむね3キロメートル以内の居住地域の住民に避難指示を出した。同年7月27日、南岳山頂火口および昭和火口から2キロメートルを超える範囲に影響を及ぼす噴火が発生する可能性は低くなったため、噴火警戒レベルは3(入山規制)に引き下げられた。
[編集部 2022年8月18日]
『山口鎌次著『桜島火山の研究』(1975・日本地学教育学会)』▽『石川秀雄著『桜島――噴火と災害の歴史』(1992・共立出版)』▽『橋村健一著『桜島大噴火』(1994・春苑堂書店)』▽『橋口実昭著『灰降る島――鹿児島県桜島』(2000・南方新社)』
鹿児島県中央部、鹿児島郡にあった旧町名(桜島町(ちょう))。現在は鹿児島市の東部にあたる一地区。1973年(昭和48)西桜島村が町制施行し改称。2004年(平成16)鹿児島市に編入。旧町域は、鹿児島湾(錦江湾(きんこうわん))奥部に位置する桜島(陸繋(りくけい)火山島)の北西半部を占め、西桜島水道を隔てて鹿児島市街に臨む。桜島は姶良(あいら)カルデラの中央火口丘で裾野(すその)に集落が展開。鹿児島港との間にフェリーボートが頻繁に往復し、桜島港からは国道224号が大隅(おおすみ)半島へ続く。1914年(大正3)の大噴火で人口は半減。火山の緩斜面を利用して暖地性のミカン、ビワ、サクラジマダイコンなどが栽培されるが、降灰や火山ガスのため不振。霧島錦江湾国立公園に含まれ観光客が絶えない。湯ノ平展望台、桜島溶岩なぎさ遊歩道、火山観測所、桜島自然恐竜公園、桜島ビジターセンターなどがある。
[田島康弘]
大阪市此花区(このはなく)の一地区。安治川口(あじかわぐち)北岸の旧埋立地で人工島。1898年(明治31)西成(にしなり)鉄道が大阪駅から安治川口へ通じてから大阪鉄工所や大阪汽車製造が立地し、工業化が進む。国鉄(現、JR桜島線、愛称「ゆめ咲線」)が桜島桟橋まで通じてからは大阪港の工業港区の機能を分担し、造船関連施設も多くなった。阪神高速道路湾岸線が通じ、対岸の天保山(てんぽうざん)へ渡船がある。2001年(平成13)アミューズメント・テーマパークのユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が開園している。
[樋口節夫]
鹿児島湾北部,鹿児島市街地の対岸に位置する火山島で,1914年(大正3)の大正噴火で流出した溶岩(大正溶岩)により,大隅半島と陸続きとなった。直径8~10km,面積約80km2。島のほぼ中央には御岳(おたけ)(北岳。1117m),中岳(1060m),南岳(1040m)の主峰が連なり,山麓には溶岩円頂丘の権現山,引ノ平,春田山,軽石丘の鍋山など多数の溶岩流が側火山として分布している。
桜島は姶良(あいら)カルデラの南部に後カルデラ丘として約1万3000年前から活動を始め,まず御岳が形成され,約5000年前から活動の中心は南岳に移った。最古の噴火記録は708年(和銅1)で,以後多数の噴火が記録されている。1955年以降の南岳の山頂噴火は典型的なブルカノ式噴火であり,灼熱(しやくねつ)した固い岩塊が,火山灰,火山礫とともに激しい勢いで噴出されている。しかし過去の大噴火をみると,長い休止期の後,激しい軽石噴火で始まり,火砕流が発生し,最後に溶岩が流出しており,天平噴火(764-766),文明噴火(1471-76),安永噴火(1779),大正噴火はいずれもこうした例にあたるが,昭和噴火(1946)では溶岩は流出したが,軽石の噴出はなかった。大噴火時には軽石や溶岩によって民家が埋積されるなど多大な被害が生じたが,海に流入した溶岩のため陸地は拡大しており,安永噴火時には島の北東海域に4島が出現し,うち新島(燃(もえ)島)には集落が形成された。桜島火山の斜面には多数の浸食谷や沢が発達し,いずれも涸沢(かれさわ)であるが,降雨時には土石流の流路となりはんらんすることが多く,治山工事が繰り返されている。
桜島は行政的には,北西半が鹿児島郡桜島町,南東半は鹿児島市に属していたが,2004年合併により全島が鹿児島市となった。島内の人口(1989)は,桜島町が5459人,鹿児島市側が2446人で,海岸に面した火山扇状地扇端に集落が分布する。緩斜面では,ミカン,ビワなどが栽培されるが,火山灰による被害をうけやすいため,鹿児島市の近郊農業として野菜のビニルハウス栽培も盛んとなっている。火山灰土壌を利用してつくられる桜島ダイコンは,大きいものは重さ40kg以上にもなり,島の特産物として漬物に加工されている。鹿児島港と桜島港(桜島町袴腰)はフェリーで結ばれ,桜島の観光や島から鹿児島市街地への通勤・通学に利用されるほか,薩摩半島と大隅半島を結ぶ交通の要路ともなっている。島全体が霧島屋久国立公園に含まれ,島をめぐる道路も整備され観光客が多い。御岳西麓には,湯之平展望台,京都大学火山観測所(現,京都大学防災研究所火山活動研究センター)があり,南岸の鹿児島市側には古里(ふるさと)温泉がある。
執筆者:小林 哲夫
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…在学中に短編《風宴》(1939)を発表したが,44年に海軍に召集され敗戦をむかえる。軍隊生活に取材した《桜島》(1946)によって戦後の文学活動を開始し,《日の果て》など戦争をえがいた作品で新時代の作家としての地位を確立した。梅崎の時代への態度は,正義をかかげて戦争を批判する立場とはちがって,私的体験と日常性を重くみる。…
…わずかに,兵士としての火野葦平の《麦と兵隊》《土と兵隊》(ともに1938)や,上田広の《黄塵》(1938)などが戦場の一面を伝えたにとどまった。さらに太平洋戦争期に入ると,文学者の多くが南方戦場に報道班員として徴用されて,戦争文学は空前の大流行となったが,無名の人たちの詩歌以外にみるべきものはなく,戦後,梅崎春生の《桜島》(1946)や,野間宏の《真空地帯》(1952),大岡昇平の《俘虜記》(1952)などによって,ようやく本格的な戦争文学が誕生した。その後の戦争文学の力作としては,五味川純平《人間の条件》(1956‐58),大西巨人《神聖喜劇》(1960‐80),大岡昇平《レイテ戦記》(1967‐69)などがある。…
…
[一次遷移primary succession]
火山の溶岩流のように,遷移開始時の基質に種子などの繁殖器官を含めて植物がない場合をいう一次遷移は,次のように進行する。暖温帯の鹿児島県桜島で,噴出年代が異なる溶岩上で調べられた乾性系列の例では,裸の岩石の表面にまず地衣類・蘚苔類が着生してくる。続いて,火山灰の集積した場所や岩石の割れ目に,タマシダ,イタドリなどの乾燥に強い多年生草本が侵入する。…
※「桜島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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