末武下村(読み)すえたけしもむら

日本歴史地名大系 「末武下村」の解説

末武下村
すえたけしもむら

[現在地名]下松市大字末武下・大字笠戸島(かさどしま)

笠戸湾に注ぐ末武川下流域の平野一帯を末武と称するが、末武下村はその南一帯を占め、平田(ひらた)川と末武川との間に挟まれる。東南は西豊井(にしとよい)村、北は末武上村、北西は末武中村。萩藩領都濃宰判に所属。

中世には末武保とよばれ、南北朝期には末武庄(「閥閲録」所収内藤小源太家文書)ともいわれた。

慶長五年(一六〇〇)の検地帳では、末武全域と東の生野屋(いくのや)を含む範囲を末武庄として総石高三千三一一石余、同一五年の検地帳では末武村・生野屋として総石高五千九五九石余、うち田方が三六八町余で五千三五三石余、畠方が五六町余で二一八石余、百姓屋敷三八五、市屋敷五四、浦屋敷五一、浦浮役六八石余、塩浜方五〇石余、小物成一一石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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